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どれだけ忙しくても、患者さんの想いを限界まで汲み取りたい|ケン【連載・田口ひづるの看護観が聞きたい!/第2回】

日々奮闘する先輩ナースが、どのような「想い」を持って看護しているのかを掘り下げる企画「田口ひづるの看護観が聞きたい!」

今回の話し手は、11年目ナースのケンさんです。

ケンさんは血液・腫瘍内科病棟に勤務し、がん患者さんの化学療法や移植、看取りなどに関わっておられます。死期が近い患者さんが多い病棟であるため、繊細な関わりを常に心がけているそうです。

そんなケンさんは、どれだけ忙しくても患者さんの想いを限界まで汲み取りたいと話します。彼がそのような想いを抱いたきっかけは、父との死別でした。

そこで今回は、ケンさんが大切にしている「想いを汲み取る看護」についてお話を伺いました。看護師を目指す中での葛藤やこれまでのつらい経験についても語られています。自身が思い描く看護を実践するために努力を続けてきたケンさん。その道のりは……「苦難の連続」でした。

<聞き手=田口ひづる>

【ケン】1987年生まれ。経済大学卒業後、会社員の経験を経て看護師に転身。看護学校卒業後は急性期病院の血液・腫瘍内科で4年間勤務。その後、現在の病院に転職し、同じく血液・腫瘍内科で働いている。好きな言葉は「感謝」。

父との死別、何もしてあげられなかった自分を悔やんで

――本日はよろしくお願いします!ケンさんは新卒で会社員として働いた後、看護師に転身されていますよね。まずは簡単に、看護師を目指すまでの経緯を教えていただけますか。

ケン:私は高校卒業後、新卒で肉の卸売会社に入職しました。けれども、その会社の労働環境が非常に悪く、約3ヶ月後には退職する運びとなりました。当時は就職氷河期で、再就職が難しい時期でした。そのため、何か手に職をつけたいと考え、看護師を目指したという経緯です。

――数ある職業の中から、なぜ看護師を選んだのでしょうか。

ケン:私が看護師を目指したきっかけは、父との死別です。私が20歳の時、父は前立腺がんを患い、すでに末期の状態でした。最期は自宅で看取ることになり、一家総出での介護生活が始まったのです。姉が看護師であり、中心となって介護してくれたおかげで、父も良い時間を過ごせたと思います。しかし、当時の私は、父に対してほとんど何もしてあげられませんでした。もともと体格の良い父が、日に日にやせ細っていく姿を見ているのが怖かったのです。怖さゆえに、父とあまり接したくない、という気持ちになってしまいました。その結果、父の介護は姉と母に任せきりになり、私はただ傍で見守ることしかできませんでした。

自宅での介護が始まってから約3ヶ月後に、父は亡くなりました。そして父が亡くなった時、私は深く後悔したのです。父との限られた時間をもっと大切にすればよかった、と。その後、大学を卒業し会社員として働き始めましたが、父に何もしてあげられなかったことが、ずっと心にひっかかっていました。そのため、会社員を辞めたタイミングで看護師の道を歩むことに決めました。医療や看護の知識をしっかりと身につけ、父のように苦しむ患者さんの力になりたかったのです。

――「父が衰弱していく姿を見るのが怖かった」とお話されていましたが、お父様と同じような状態の患者さんと接することに恐怖心はなかったのでしょうか。看護師を目指す過程で葛藤などはありませんでしたか。

ケン:看護師を目指すことへの迷いはもちろんありました。父との死別から約3年が経っていたものの、当時抱いた恐怖心はまだ消えていませんでしたから。加えて、看護師は女性の仕事というイメージが強く、男の自分が看護師を目指していいものか、と迷うこともありました。しかし、衰弱していく父の姿や、必死に介護していた姉の姿が脳裏をよぎるたび、自分も医療者として人の役に立ちたいと強く思ったのです。そうして、時間の流れとともに徐々に決心がつき、看護師を目指すことを決めました。

――時間をかけて徐々に看護師になる決心がついたのですね。最終的には、何が決め手になったのでしょうか。

ケン:最終的な決め手は、看護師である姉からの言葉です。「看護師はつらいけど、それ以上に喜びがある。患者さんと嬉しい気持ちを共有できた時には、頑張って良かったと思えるよ。だからそれをケンにも味わってほしい」と言ってくれました。

その言葉を聞いて、決心がついたことを覚えています。

苦難の連続、思い描いていたような看護ができず

――看護学校を卒業後、最初の病院では血液・腫瘍内科に勤務されていましたが、そもそも血液・腫瘍内科への配属は希望だったのでしょうか。

ケン:血液・腫瘍内科は第2希望で、もともとは消化器内科への配属を希望していました。看護実習の経験から、大腸がんの患者さんと関わりたいと考えていたからです。とはいえ、がん看護がしたくて看護師になったわけなので、血液・腫瘍内科に配属されたことに対して不満は一切ありませんでした。

――血液・腫瘍内科では、どのような毎日を過ごしましたか。

ケン:血液・腫瘍内科での日々は、思っていた以上に過酷なものでした。3次救急を担う病院であったためとても忙しく、業務に追われ続ける毎日だったと思います。自分自身の要領の悪さも相まって、仕事自体もなかなか上手くいきませんでした。プリセプターとの関係が良好ではなかったこともあり、落ち込む日も多かったです。思い描いていたような看護ができず、フラストレーションが溜まっていましたね。

そうして4年が経った頃、現在勤めている病院の存在を知りました。PCU(緩和ケア病棟)が設置されていると分かり、強い魅力を感じたことを覚えています。PCUに入職できれば、じっくりと時間をかけて自分がしたい看護を実践できると考えました。そのため、転職を決意し、今の病院に入職することになりました。

――理想の看護を実践するために、現在の病院に転職されたのですね。転職にあたり、PCUへの配属を希望されたと思うのですが、なぜ転職した後も血液・腫瘍内科で働かれているのでしょうか。

ケン:単純に、PCUへの配属希望が通らなかったからですね。私が転職した時、ちょうど血液・腫瘍内科が新設されるタイミングだったのです。病棟の立ち上げにあたって人員が不足していたため、血液・腫瘍内科で働いてほしいと言われました。正直な話、つらかったですが、仕方なく受け入れたという経緯です。

血液・腫瘍内科で実際に働き始めた頃は、かなり苦しかったことを覚えています。非常に忙しい病棟で、結局また、思い描く看護ができなかったからです。新設されたばかりでマニュアルがなく、以前勤めていた病院よりもさらに多忙な毎日を過ごす羽目になりました。転職したことを後悔する日も多かったです。

ただ、必要とされているな、という実感はありました。もともと血液・腫瘍内科の経験があったので、頼られる場面も多かったからです。頼られることにやりがいを感じながら毎日を過ごすうちに、PCUへのこだわりは次第に薄れていきました。徐々に実力がつき、忙しい状況下でも思い描く看護ができるようになった、というのも大きな理由の1つです。そのような経緯があり、現在もそのまま血液・腫瘍内科で働き続けています。

どれだけ忙しくても、患者さんの想いを限界まで汲み取りたい

――これまでのお話から、ケンさんは「自分がしたい看護」を明確にお持ちだと感じました。日々の看護で大切にしていることがあれば、お聞きしたいです。

ケン:私が常に心がけているのは、患者さんの想いを限界まで汲み取る、ということです。たとえば、呼吸状態が悪く歩行するだけでSpO2が下がる患者さんがいたとして、その方が「トイレに行きたい」と訴えたとします。この時すぐに、「呼吸状態が悪いから歩くのは無理、尿道留置カテーテルを挿入しよう」と考えるのは、確かに簡単かもしれません。患者さんの身体状況から考えても、正しい選択でしょう。しかし、有無を言わさず尿道留置カテーテルを入れてしまえば、患者さんの自尊心は傷つきます。なぜならそれは、患者さんの想いを無視した、看護師よがりな判断だと言えるからです。

だからこそ私は、すぐに諦めるのではなく、必ず一度はトイレに行けるようサポートします。その結果として、患者さんが「しんどい」と感じたならば、同意を得た上で尿道留置カテーテルを挿入します。つまり、患者さんの意思と安全のどちらを優先すべきか、ギリギリのラインまで考え続け、可能な限り患者さんの想いに応えられるよう努めるのです。

――安全上、患者さんの要望にわずかでも応えられないこともあるかと思います。そういった場面では、どう対処すれば良いでしょうか。

ケン:患者さんと看護師の両者が納得できる答えを、時間をかけてでも、患者さんと共に探すことが大切です。そうすれば、たとえ要望に応えられなかった場合でも、患者さんの自尊心は傷つきにくいでしょう。なぜなら、最終的な判断に、患者さんの意思が介入しているからです。最もいけないのは、患者さんの意思を無視して、看護師の独断で結論を出すことだと思います。ですので、安全が確保できない、とすぐに諦めるのではなく、最後まで患者さんと話し合い、その上で結論を出すことが大切だと考えています。

――確かに、患者さんを置いてけぼりにしないのは大切ですよね。ちなみに、他にも日々の看護で大切にしていることはありますか?

ケン:日勤帯だけでなく夜勤帯でも患者さんとしっかり話す、ということですね。なぜなら、患者さんの中には、昼間は平気でも、夜になると気持ちがつらくなる方も多いからです。特にがん患者さんは、夜になると「本当に治るのだろうか」といった不安に襲われる傾向にあります。夜は静かで落ち着いているからこそ、様々な不安が頭をよぎるのでしょう。だからこそ私は、看護師が少なく忙しい夜勤帯であっても、患者さんの気持ちをじっくりと聞き、親身になって寄り添います。業務が大変な時でも、患者さんから訴えがあれば、無理にでも時間を作ります。そうすれば、患者さんのつらい気持ちを少しでも和らげられると信じているからです。

私はそういった理由から、いつも夜勤の回数を多めにしてもらっています。夜勤専従として勤務した時期もありました。もちろん、夜勤手当がほしいから、という理由もありますが……(笑)。

それとあと1つ、少しずれた回答にはなりますが……。日々の業務において、他のスタッフを全力で助ける、ということも大切にしています。

――他のスタッフを助ける。具体的には、どういうことでしょうか。

ケン:他の看護師の業務をできる限り引き受ける、ということです。というのも、多重業務に追われる看護師は時間的な余裕がなく、看護の質が落ちやすいですよね。ですので、そこで私が業務を肩代わりすれば、その看護師に時間的な余裕が生まれ、より質の高い看護を提供できるはずだと思うのです。その結果として、患者さんが良質なケアを受けられる、と考えています。

加えて、他の看護師がつらくならないようにする、という目的もあります。看護師の仕事は責任が重く、業務量も多いので、しんどさのあまり辞めたくなることも多いですよね。そういった理由で他の看護師が辞めてしまうのは、本当に悲しいのです。ですので、せめて自分がいる病棟だけでも、看護師のつらい気持ちが和らいで欲しいと考えています。そういった意味合いもあり、自分に余裕があるときには、他の看護師を全力でサポートするように努めています。

自分で自分を褒めながら、負けずに頑張ってほしい

――それでは最後の質問です。後輩看護師に伝えたいことはありますか。

ケン:看護師の仕事はつらいことも多いですが、それ以上にやりがいを感じられる瞬間がたくさんあります。私の場合は、患者さんに対して良い関わりができた時に「今日の看護は良かったなぁ」、と嬉しい気持ちになります。採血が一度で成功した時や、患者さんに感謝された時にも、とても大きな喜びを感じます。ですから、後輩看護師のみなさんにも、私と同じように「看護の喜び」を存分に味わってほしいなと思います。確かに看護師はつらい仕事ですが、3から5年くらい一生懸命頑張れば、必ずその努力に見合った喜びが返ってきます。新人の頃はつらく、仕事が上手くいかずに自分を責めてしまうこともあるかと思いますが、そんな時には自分で自分を褒めながら、負けずに頑張ってほしいと思います。

――自分で自分を褒めるのが苦手な方は、つらい時期をどのようにして乗り越えれば良いでしょうか。

ケン:同期と共に支え合うことが大切ですね。飲みに行ったり、遊びにいったりして、助け合うのが良いと思います。友人ではなく同期と話すことで、励ましてもらえることはもちろん「次はどう動くか」という部分まで話し合うことができます。具体的な解決策まで話し合えると、今後の方向性が見えやすく「次こそ頑張ろう」という気持ちになりやすいと思います。

ですから、自分で自分を褒めるのが苦手な方は、同期に頼りながら、つらい時期を乗り越えてほしいと思います。

――同期と知恵を出し合い、次の解決策まで考えられれば、実力もグッと伸びるような気がします。本日はたくさんお話をしてくださり、ありがとうございました!

〈取材・文・撮影=田口ひづる〉

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