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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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#戦国時代

名君 大友 義長

名君 大友 義長

大友義鎮の祖父として名君とも呼ばれたこの人物の紹介をしないわけにはいきません。生誕は1478年(文明10年)、豊後国の大友氏18代当主・大友親治(おおとも ちかはる)の子として誕生。幼名から名前の改めは6回。塩法師丸(しおほうしまる)、五郎(ごろう)、親匡(ちかまさ)、親元(ちかもと)、義親(よしちか)とある。

先代の父子対立による家中の混乱を鎮めた父の親治により、1497年(明応6年)、当主と

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女好き 志賀 親守(しが ちかもり)

女好き 志賀 親守(しが ちかもり)

志賀 親守(しが ちかもり)は生誕不明。没年不明。

大友三家(田北氏、詫摩氏、志賀氏)の一つ。北志賀家は南軍衆の筆頭である。大友の主力ともいわれる軍を率いる頭として活躍した武将。

1550年二回崩れの変
大友義鎮(おおとも よししげ)の家督相続に尽力。
1552年親度(ちかのり)に家督を譲って隠居。隠居というぐらいですからこの時、30~40代ぐらいだったのかなとか年齢の推測をしてしまいます。

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骨喰藤四郎と宗麟

骨喰藤四郎と宗麟

骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)は、鎌倉時代に作られたとされる日本刀(薙刀直しの脇差)。日本の重要文化財に指定されており、京都市の豊国神社が所蔵している(京都国立博物館に寄託)。伝承により同名の刀が複数存在する可能性があるらしい。

もともとは大友宗麟の祖先、6代目が足利家に献上した刀だったのですが、戦国時代になって松永久秀がこの刀を奪った。と聞いて宗麟が謝礼金3000両(10億円くらい?!)を払

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