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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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#立花宗茂

高橋 統増(立花 直次)

高橋 統増(立花 直次)

生誕は1572年。死没は1617年。
父は高橋紹運(たかはし じょううん)。母は斎藤鎮実(さいとうしげさね)の娘。次男であり、長男は立花宗茂(たちばなむねしげ)。
幼名は千若丸。
大友義統の諱を貰って統増(むねます)と名乗る。
兄、宗茂が立花道雪(たちばなどうせつ)の婿養子となったため、高橋家の嫡男となった。
長男、宗茂をベタ惚れした立花道雪が娘誾千代の夫にと婿養子を希望。
高橋紹運も嫡男、宗茂を

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超最強 立花宗茂

超最強 立花宗茂

大友家の家臣で唯一大名家になり、取り潰しにあい。徳川家において復活した大名です。立花道雪に次いで好きな武将です。戦国最強武将の一人でしょう。

脚色して描けば、間違いなく大河ドラマ化できる武将です。

生誕は1567年、今の豊後高田市あたりの高橋紹運の長男として誕生。幼名 千熊丸。後に弥七郎。結構、改名が多く(18回ほど)。この方の人生もまあまあ節目の多いものなのだと窺えます。没年が1643年で7

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娘に城を譲った武将

娘に城を譲った武将

大友宗麟の重臣、立花道雪は矢傷を負って脚が不自由でした。ですが彼は輿に乗り、腰に鉄砲をはさんで敵に立ち向かう猛将でした。

彼には一風変わったところがあり、同時代人も驚くことをしました。

それは娘に家督を譲り、立花城主にしたこと。

娘の名前は誾千代。後の立花宗茂さんの奥さんになります。宗茂さんは婿養子だったんです。怖い父と家督を継いだ嫁さんに挟まれて大変だったようです。誾千代さんは腰元に鉄砲の

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