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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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#鶴崎城

戦国最強の女将 吉岡 妙林尼

戦国最強の女将 吉岡 妙林尼

吉岡妙林尼(よしおか みょうりんに)は戦国時代最強といわれた女武将です。信長の野望などでは「巴御前」のような長刀を持った勇ましい姿が特徴の人物ですね。
大友家家臣の吉岡家の人物紹介ではこの人物が外せません。
ただし、正確な記述がないので、まさに伝説の人物です。
生誕、没年不明。
父の名前も大江神社の神主、林左京亮(はやしさきょうのすけ)、鉱石採掘の、丹生小次郎正敏(にうこじろうまさとし)ともいわれ

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吉岡 甚吉(よしおか じんきち)

吉岡 甚吉(よしおか じんきち)

生誕不明。死没も不明。
父は吉岡鑑興(よしおか あきおき)。
1578年耳川の合戦で父が戦死。家督を継ぐ。
1586年の豊薩合戦の際、大友宗麟(おおとも そうりん)が籠城する臼杵丹生城(現:うすきじょう)を守る。二王座(におうざ)を守り戦功をあげる。二王座の兵300~500に対し島津軍3千と戦いこれの撃退。後に甚吉坂(じんきちさか)なる呼び名もついている。
大友義統(おおとも よしむね)の時代に統

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吉岡 鑑興(よしおか あきおき)

吉岡 鑑興(よしおか あきおき)

生誕 不明。死没は1578年耳川合戦の討ち死に。父は吉岡 長増(よしおか ながます)。
父の死後、1576年に大友義統(おおとも よしむね)の加判衆になっている。妻は吉岡 妙林尼で豊薩合戦で活躍し秀吉に会いたいと言わせた女傑である。
元々、大友宗麟の時に側近であったようで1569年に立花城攻略の際の雨中在陣を賞されている。
あまり活躍はないのだが三老に選ばれるところから宗麟の重臣的な立場で息子義統

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知将 吉岡長増(よしおか ながます)

知将 吉岡長増(よしおか ながます)

大友義長(おおとも よしなが)、義鑑(よしあき)、宗麟(そうりん)に仕えた武将。生誕不明、死没も不明。おおよそ1573年くらい。となっています。三代仕えた武将なので70から80歳くらい生きたのではないかと言われています。鶴崎城、千歳城の城主。法名は宗歓。島津侵攻時に活躍した吉岡妙林尼の義理の祖父。この辺の記録があいまいです。島津侵攻、大友家改易などで記録が無くなったのかな。

1532年陶軍侵攻時

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