マガジンのカバー画像

豊後大友家臣団の戦国ネタ

69
豊後大友家臣団の戦国ネタを書いてます。よろしくお願いします。
運営しているクリエイター

2021年6月の記事一覧

智勇兼備 吉弘鑑理(よしひろあきまさ)

智勇兼備 吉弘鑑理(よしひろあきまさ)

吉弘鑑理は大友義鑑、宗麟に仕えた武将です。生誕1520年くらい?死没1571年。父、吉弘氏直が19さいの若さで勢場が原の戦いで戦死。そのため幼くして家督を継ぎます。吉弘氏は大友一族田原氏の分家であり大友一族として重臣の位置づけされた家柄となります。息子には鎮信、鎮理がいます。次男、鎮理は後の高橋紹運です。ですので立花宗茂の祖父といえばわかりやすいかと思います。大友宗麟の前期、三老の一人です。

1

もっとみる
噴死 朽綱 鑑康(くたみ あきやす)

噴死 朽綱 鑑康(くたみ あきやす)

朽綱 鑑康は大友家家臣。義鑑、義鎮、義統の三代に仕えた武将です。生誕は1502年没年が1586年。法名は宗暦(そうれき)。記録が確かなら84歳くらいの生涯を生きています。

元々は入田鑑康と名乗っており、入田親門の次男として生まれました。

大友義鑑の時代に臣下として仕えていますが、

1550年二階崩れの変で兄、入田親誠が逐電して討伐されます。次男としてはびっくりでしょうね。兄貴、何してくれたん

もっとみる
勇将 斉藤鎮実(さいとう しげざね)

勇将 斉藤鎮実(さいとう しげざね)

斉藤鎮実さんは父が斉藤 長実という方です。斉藤長実は大友義鑑の時代において加判衆を務め、弓術指南の家柄です。1550年に主君義鑑が嫡男義鎮を廃嫡しようとしたのを諌めたため、誅殺されます。このため、「二階崩れの変」が勃発。

主君、義鑑は死去。当主の座についた義鎮が誅殺された長実の名誉を重んじ、重臣に抜擢。父の家督を相続させます。その際に、偏諱「鎮」をもらい。鎮実となります。生誕年が不明ですが宗麟さ

もっとみる