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豊後大友家臣団の戦国ネタ

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2020年12月の記事一覧

城主 立花誾千代

大友宗麟の重臣、立花道雪の娘です。道雪57歳ぐらいの時に生まれ家督を相続。立花城の城主になります。大河ドラマの女城主、井伊直虎と同じですね。

その後、立花宗茂を夫に迎え、立花城の主人が二人状態になり仲が悪かったとか。道雪死後は、島津の侵攻を抵抗。腰元に鉄砲持たせたり薙刀持って警戒にあたったりしています。その後、宗茂の活躍で秀吉の配下になりますが、立花城は出ることになり柳川に移転。誾千代としては立

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豊後のヘラクレス 柴田礼能

柴田礼能は戦国時代の武将です。生誕不明。死没は1586年12月。島津侵攻の際に討ち死にしています。大友宗麟家臣。槍の名手でヘラクレスの異名を持っています。柴田礼能は大友宗麟家臣の中では後期に活躍した武将ですね。耳川合戦の後に柴田一族は重用されて兄は島津侵攻の際の拠点防御を任されます。礼能は万寿寺の寺社跡を与えられ府内奉行となっています。熱心なキリスト教信者ですが、田原親貫の乱を制圧に活躍。田原の部

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二人の君主に仕えた佐伯惟教

二人の君主に仕えた武将、佐伯惟教(さえき これのり)。戦国時代の武将です。生誕年不明。死没は1578年の12/17。耳川合戦で討ち死にしたんですね。豊後佐伯氏の12代当主で。水軍の長です。二階崩れの変の時、大友義鎮(後の宗麟)に味方し、大友義鎮の重臣になります。熊本地方の制圧に活躍します。しかし、大友義鎮は同族重視の家臣団を編成する傾向が強く。非同族重臣に反感を買うようになります。そして、対立、謀

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