豊後のヘラクレス 柴田礼能

柴田礼能は戦国時代の武将です。生誕不明。死没は1586年12月。島津侵攻の際に討ち死にしています。大友宗麟家臣。槍の名手でヘラクレスの異名を持っています。柴田礼能は大友宗麟家臣の中では後期に活躍した武将ですね。耳川合戦の後に柴田一族は重用されて兄は島津侵攻の際の拠点防御を任されます。礼能は万寿寺の寺社跡を与えられ府内奉行となっています。熱心なキリスト教信者ですが、田原親貫の乱を制圧に活躍。田原の部下たちを寝返らせたりしていますから、槍の名手だけでなく策士でもあったようです。

大友宗麟の秀吉に援軍要請で大阪に行く際にも護衛で同行。宗麟の家臣で重用ぶりがうかがえます。しかし、島津の豊後侵攻の際に兄が裏切り。宗麟が礼能さんを疑ったことでそれを恥じた礼能さんは出陣。少数の兵で島津と闘い討ち死にします。宗麟はそれを知り、疑ったことを恥じて涙した。とあります。

大友宗麟の家臣では忠義に厚い武将だったようです。生きてたら宗麟の息子を支える重臣になったでしょうね。

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