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60歳リフレクション(要領かます)

60年生きてきまして、たまに、頻度としては1年に何度かの割合で
「過去に要領かまして」後悔していることがあります。

九九です。

小学2年生の頃、九九の学習が始まりました。
勉強机に透明のビニールが敷いてあって、九九のシートが挟まっていたっけ。(あれ、カピっと貼っついて上手く剥がれなくなるんですよね)
トイレにも九九の紙が貼ってありましたね。

ある日少年は気がついてしまいました。
シハサンジュウニを覚えてしまえば、ハシは覚えなくてもいいのではないか。逆にしてるだけだもん。半分覚えればいいのに、全部覚えるなんて時間の無駄。

その後大人になりまして、たまに、そうたまに、クシ(94)とか計算しなくてはならない場面に出会いました。その度毎に僕は・・・・・。
「シクサンジュウロクだからクシもサンジュウロクだ」と心の中で変換してきました。全部覚えりゃよかった。めんどくさい。時間を無駄にしている。

あの時、時間のロスと判断してことが、後々大きな時間のロスをしているのです。要領かましちゃいけません。

要領がいい、という言葉に2つの意味があります。ポジティブには、段取りがいいとか処理能力が高いとか。ネガティブにはずる賢いとかちゃっかりしているとか。九九を半分覚えればOKというのはどちらかというとポジティブな気もしますが、人生ではそうでもなかったという話です。

「要領よく」はいいけど、「要領かます」のはよろしくない。
「要領よく」は段取り能力にも繋がり、それはマルチタスクをこなさなければならない仕事においては不可欠です。でも仕事で「かます」と後々よくないことが起きますよ。「かます」と、バレるんです。不思議と周りのひとにバレてるんです。

「お前、九九半分しか覚えてないだろう」と言われたことは、幸いにしてあしません。いや・・・・、わかっていても指摘されなかったのかもしてないな。「かましてる」のがバレても指摘してくれる人は少ないですから。








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