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ちょっとでも前に進めば良い

みなさんこんばんは、hideyaです。

先程、友達と話していて自己肯定感の話になりました。

目指すところは、生きているだけで幸せと思えること
という話で盛り上がりましたが、
そこまで行かなくとも、自己肯定感は高い方が幸せだと思います。

何で自己肯定感を得るかは人それぞれですが、
人より良い成績を収めることでそれを得るのはあまり良くないと思っています。

というのも、上には上がいて
満たされずに自分をすり減らしていくことになりかねないからです。

以前の私がそうでした。
何でも誰よりも上に立つのが最善だと思っていました。

そのせいか、思い返すと心が荒れて砂漠のようになっていた気がします。

何でもかんでも人と比較していたので、
自分の中で最高だとしてもそれを見逃していました。

何がいけなかったのかは最近わかるようになってきましたが、
自分を評価する際の基準が他人だったことです。

他人は自分の思い通りにはならないです。
なので他人を自分の評価基準に置くと
大抵は評価が下がります。

良いところばかり目について羨ましくなるのです。
なんでかはわかりませんが

なので、その評価の基準を自分に持ってくるのが良いと思っています。

例えば、
昨日よりも成長したと思う。
そう思えたら幸せです。
昨日より成長した!よくやった、俺!

こう思うのが一番良いかと思います。

実際のところ、人間は色々な技術が発達したおかげで
余分な時間が増えて、
生きるためだけではなく、学問などに時間を使えるようになったのではないでしょうか。(すみません、ちゃんとした歴史はわかりません)
そう考えると、人間として生まれただけで幸せです。
竹内まりやさんに言わせれば、
「朝起きた時、息をしているだけで幸せ」
です。

とはいってもなかなか、生きているだけで幸せとは思えません。

そんな簡単には考えは変えられないですよね。

だけど、自分を褒めてあげるくらいはできると思います。
何かを少しでも進めることができたら、
昨日よりは少しだけでも進んだ、
それで良いんだ、よくやった自分。

そう褒めてあげてください。
そのうち、状況を悲観することも無くなってくると思います。

自分は自分です。
他人は関係ありません。

小学校、中学校、高校を思い出すと周りと自分を比較しまくっていた自分を思い出します。
いつでも、人と同じかそれ以上を目指していました。
かといって成績が良かったわけではありませんが。

みんなより出来ていないのが嫌で、
「終わった人から休み時間にしていいよ」
という時は絶対に遅れたくありませんでした。

その時はその考えしかなかったので必死で遅れないようにしていましたが、
今は違います。

「私はこれだけ努力したんだ、これ以上はできなくても仕方ない」

これは単なる諦めとは違います。
自分のことを認めてあげているのです。

他人よりも上に立つことで自分を認めることとは違い、
自分のことを自分で認める。

それができるようになるのにすごい時間がかかりました。
まだできていないかも知れません。
だけど、その考え方を知れただけでも心が救われました。

自分と他人は違うということが分かれば、
競争しなくても、生きているだけで幸せを感じることができます。

今日はたまたま友達とその話になりましたが、
改めて考え直しました。

自分のことを自分で認めてあげる
簡単だけど意外とできていない人が多そうです。

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