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死とは何か | 死ぬことは宿命 限られた時間をどう生きるか

まいど!ひでやです!
お役立ちネタを配信している大阪のYouTuberです(^^)/

今回は「死とは何か?」という本について解説させて頂きます。

最初に断っていおきますが、スピリチュアル要素ゼロです。
著者のシェリーケーガンさんという方が客観的かつ論理的に意見が述べていらっしゃる本です。

何でこの本をビジネス本的に紹介するのかと言うと、
死を意識する事って、今を生きようというパワーになるんですよ。

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どういう事かと言うと、「人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか」
これ表紙にも書いてあるんですけど、全くその通りです。

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自分はいつまでも若く、元気で、永遠に今の時間が続くような気がしてませんか?
気のせいです。死ぬ事は全人類共通のゴールです。

死ぬことは宿命、よって時間は限られています。
その中でどう生きるかという事を考えさせてくれる一冊です。
ゴールを思い描いて行動するというのは本当に大切なことです。

少しだけ著者の紹介をしますと、こちらのシェリーケーガンさん…
いかにも死について考えてそうな風体です(#失礼だろ)。

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アメリカの名門イェール大学で、際立って人気を集めている教授で
道徳・哲学・倫理の専門家としても知られ、「死」をテーマにしたイエール大学での授業は、17年連続で「最高の講義」に選ばれているという事ですね。

ではさっそくテーマ別で話していきます。

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結構議論になる事ではありますよね。
ただこれの結論は出ていて、考えるだけ無駄です。

死後の世界など存在せず…と言い切ってしまうとマズイのかな…
とりあえず、本書では死後の世界についてはは否定的で、
心(魂)は存在しないという立ち位置をとっており、つまり死後の世界は存在しないといっています。

DEATH NOTEで死神リュークが言ってましたね。
天国も地獄もない。死は平等だみたいな事。

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僕のアホな友達が大学生の時くらいに「死んだらどうなるかが不安で寝られへん」とか言ってましたが、その時はこんな話をしたと思います。

僕「意識のない状態になるだけなので、何も感じない。」

友人「その何も感じない状態っていうのが怖いと。」

僕「だからー何も感じへんって言ゆうとるやないか。感じないのに不安になるってどういう事や。無や無!」

みたいな事言ってたのですが、まるで納得してませんでしたね。

その時は多分彼は、分からないから恐れていたんだと思うんですよ。
シェリー先生の教えの通り、こんな風に言ってあげるべきでした。

死の感覚は未知ではないはず、たとえば、お母さんのお腹の中にいた時、
何か怖いこととか、苦しい事はありましたか?
意識がないってそういう状態です。
つまり、あなたはもう“死”を感覚としてを経験済みなんです。

だから「経験済みのことをゴチャゴチャうるさい!」

という風に言えばこの議論は終わっていたはずです。
…多分ですけど。

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じゃあ何故死はなぜ恐れられ、悪いものとされるのか。

シェリー先生はこの問いに対する答えとして、
「剝奪説」こそが進むべき正しい道に思えると語っています。
この説は、死にまつわる最悪の点を一番はっきりと捉えていると思われます。

この剥奪説というのは、死が悪いものと捉えられるのは
「死んだら人生における良いことを享受できなくなる」からだという説です。

死が私たちにとって悪いのは、私たちが死んでさえいなければ人生がもたらしてくれただろうものを享受できないからに他ならないんです。

だって嫌ですよね。死んでしまえば、大好きな食べ物も食べられません。
行きたいところにも行けないし、欲しいものも買えません。
愛する人と一緒の時間を過ごす事もできません。

つまり、死なずに生きた場合に得られる体験を剥奪されるから、死は悪いものだという考えです。
これはかなりしっくりきますよね。

まぁ細かいことを言い出したら、剝奪説も全体としては妥当に思えるものの、すべて包括できるわけでもないとも言ってますが、一旦それはおいておきましょう。

では、次の話です。

図3

少し話がややこしくなりますが、死が「人生における良いことを剝奪するから悪い」のであれば、永遠に生き続けることこそが最も望ましいものなのか?という疑問がわきます。

そうですよね、剥奪されずに永遠に享受し続けられるわけですから。

一度でいいので想像してみてください。
人生100年時代のこの人生を、100回繰り返したとき、それでもまだ「こんな人生を送りたい」と思えるでしょうか?
それが1,000回、10,000回になったら?

正直、生きることに飽きてきそうな気がします。
もちろん、死なない限り、何かしら良いことを享受し続けることは間違いないですが、その良いことを享受することの価値というのは長期的には下がっていきます。

何かを享受できるから生きるという点では、その期待値というのは限りなくゼロに近づいていき、生きていても仕方なくない?となりませんでしょうか?

と考えると、望むべき人生は不死ではなく、「自分が望むだけ生きられること」ではないでしょうか?

人生100年だとして、それを短いと感じても、
不死よりかはマシであると考えられます。

まとめ

死と言うのはただの時期で締めきり
誰にでも訪れる共通のゴールなので、
恐れビクビク生きるのはもったいないです。

締め切りがあるのだから、それまでをより濃密に
自分のやりたい事に精いっぱい費やしたい。

そういった風に考えると、死というものを
強いエネルギーに変えられるとは思いませんか?

死という締め切りに目を背けず、
最期に後悔しないように、好きなことをやりきりましょう!

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