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Werewolf Cop ~人狼の雄叫び~  第15話

↓前話はこちらです。

↓初見の方は第1話からどうぞ。




○ 30

 「狼信仰、ですか……?」

 初老の博物館職員は、物珍しそうな目で池上を見た。名札には岡谷真一と書かれている。

 城島と話したあと、横浜にある歴史博物館を訪れてみた。ダメ元で、古来からの宗教に関して話を聞きたい、と受付で頼んだところ「宗教学を多生かじったので、ある程度なら」と言いながら彼が現れた。見たところ客も少なく、余裕があったのだろう。

 「私はフリー・ジャーナリストの田辺章といいます。いずれ、日本特有で古来から伝わる信仰について掘り下げた物を書きたいと思っていまして、参考にさせていただければ……」

 偽の名刺を差し出しながら言った。

 岡谷はそれを受け取ると、抱えてきた資料をテーブルに置く。ロビーの端、窓側のイスに座り、2人向き合う形となった。

 一生懸命な様子で資料をめくる岡谷。突然の取材になんとか対応しようと、思案している。

 公安捜査官は何かになりすまして情報を嗅ぎつけ引き出すのも仕事の内とはいえ、善良な相手を欺いていることに、池上は少し後ろめたさを感じた。

 「狼というと、どんなイメージをお持ちですかな?」

 ようやく話の糸口を見つけたらしく、岡谷が質問してきた。

 「そうですね」と今度は池上が考え込む。だが、長くはならなかった。なるべく早く話を進めたい。「いいイメージと悪いイメージとそれぞれあって、その差が極端な気がします。たとえば一匹狼とか格好良さを感じさせるものもあれば、童話の赤ずきんや3匹の子豚では、ずるがしこく恐ろしいイメージで、まさに悪役ですし」

 「なるほど。確かに違いますね。それは、地域性もあるのかもしれません」 

 「地域性?」

 「仰られたように、赤ずきんや3匹の子豚では悪役です。どちらも西洋の童話ですね。北欧神話に登場するフェンリルは神々と敵対する狼の怪物として描かれ、中世ヨーロッパにおいてはジェヴォーダンの獣や狼男など、狼が元となるような未確認生物が人間の敵として登場します」

 狼男、という言葉に微かに息を呑む池上。岡谷には覚られなかったが、やはり意識してしまう。続けて話す彼に意識を戻した。





 「牧畜が主流だった中世の西洋文化においては、家畜を食べてしまう狼という存在は人々にとって忌むべき物だったのかもしれません。一方、古来より農業を営んできた日本において、狼は田畑を荒らす害獣を食べてくれる『益獣』として畏敬の念を抱かれる存在だったと言います。狼という漢字は「良い獣」と書かれていますからね。『日本書紀』では、東征の英雄である日本武尊ヤマトタケルが三峯を訪れ道に迷ったとき助けたのも狼でした。その出来事に感謝し、日本武尊はのちに伊弉諾尊イザナギノミコト伊弉冉尊イザナミノミコトの二柱をお祀りし、狼を神の使いとして定めたと言います」

 「そんなに古来から?」目を見開いて驚く池上。「しかも、由緒正しいものなのですね」

 狼信仰というのは勝手ながら邪宗に近いように感じていた池上は、自分の無知を恥じるように言った。

 「そうですね。弥生時代には狼の骨などが神事や装飾の道具として用いられていたと言います。そのような歴史を踏まえ、狼は人間によって神格化され、ついには山の神、または大神としての側面を持つようになった。昔は日本中に生息していたようですから、各土地土地で、様々な形の狼信仰が連綿と伝わっていったのかもしれません。それらがある程度まとまり、一つの宗教として大きくなったのは、かなり時代が流れてからでした。1720年に日光法印という僧が三峯に入り、繁栄の基礎を固めたと言います。狼を御眷属様とし、そのお札を配布する御眷属信仰が始まりました。三峯神社を中心とした狼信仰が全国に大きく広まった」

 「その頃は、ポピュラーな宗教だったわけですね」

 感心し、溜息をつきながら言う池上。岡谷は自分の話が大きな関心を持たれたのに気をよくしたのか、笑顔で頷いた。

 「もちろん、多くの信仰のうちの一つではあったのですが、ある時期には大流行したりもしたようです。特に江戸で大火事が頻繁だった頃には、狼の持つ危険察知能力にちなみ、火災防止の意味合いも持つようになったようですね。それから、1858年から1862年にかけて、江戸の町を含む世界中でコレラが大流行し、多くの命が失われました。当時は、狐や狸に化かされたように急死する様に見え、妖怪の仕業と思われるようなこともあったみたいです。それで、狐や狸の天敵となる狼が、この病魔を打ち払うと信じられた。三峯神社の記録によれば、この時期、江戸の多くの人々が参拝し、御眷属様を拝借したそうです」





 コレラか……と池上は唸る。大きな不安が社会に闇を落とすと、宗教に救いを求める人も増える。多くの宗教は健全であると信じたいが、中には人の心の弱い部分につけ込んで利益を得たり、力を持とうとする悪徳な新興宗教も現れる。現代社会でもそれは変わらない。池上達公安捜査官はそのような連中に目を光らせる。狼信仰がそういう対象ではなかったことに、なぜか安堵した。

 「ただ、狼信仰の流行が、ニホンオオカミの絶滅の一因になったとも言われています」少し目を落としながら続ける岡谷。「土地土地で狼信仰の形は違ったものがあったようですが、場合によっては、祈祷のための道具として狼の頭などの骨を使います。あるいは、その骨を砕いて薬として飲んだという話もありますね。なので、調達のために狼は狩られていきました。それに、海外からの狂犬病の流入等も重なり、かつては山の神とさえ言われていた狼は次第に姿を消していった……」

 骨を砕いて薬として飲んだ……? 

 池上は佐野の話を思い出した。大けがを負った草加が、神社の秘薬を飲んで奇跡的な回復をしたという。それはもしかしたら……。

 「どうかしましたか?」

 怪訝な表情をしてしまったのだろう。岡谷がのぞき込むようにしてきた。

 「い、いや。恥ずかしながら、狼信仰というのはもっとオカルト的なものかと思ってしまっていたので、歴史ある信仰と聞かされて驚きました」

 取り繕うように言ったが、本心でもあった。

 「若い人にはそれも仕方ないでしょう。実際、昨今の妖怪ブームの際は、それと相まって三峯神社に参拝する人は増えていると聞きます。それに、今お話しさせていただいたのは、あくまでも狼信仰の大枠というか、日光法印由来のものです。それ以外にも各土地土地で様々な形の狼信仰があったでしょうし、それが今でも残り続けているところがあるでしょう。中には、一見オカルト的に感じられるようなのもあるかもしれません」





 「奥が深く幅も広いんですね。一口に狼信仰といっても」

 「そうです。先ほどは西洋では狼は悪役が多いと言いましたが、そうではない面も当然あります。例えばゲルマン神話のヴォーダン信仰の神の眷属は狼だと言われていますし、北欧神話の主神であるオーディーンも一対の狼を連れていたという。世界に目を向ければ様々な形の信仰があるのかもしれません」

 「日本の、ここ神奈川県の山の方、例えば沢の北峠あたりに、何か狼信仰のようなものはありませんか?」

 「沢の北峠? それはまた、なぜ?」

 突然ローカルな話になったからか、岡谷が驚いていた。

 「い、いや。土地土地で個別に伝わってきた狼信仰というものに惹かれたので。沢の北峠というのは、友人の出身地の近くなのでふと思い出しました」

 誤魔化しながら応える池上。

 「うーん。資料を探せば何か伝承も見つかるかもしれませんが、申し訳ないが今すぐというわけには……」

 さすがにそれほどピンポイントで訊かれても困るだろう。こちらこそ申し訳なくなり、池上は「唐突にすみませんでした」と頭を下げた。

 いやいや、と手を前に出して振りながら、岡谷は笑う。そして、ふと何かを思い出したように頷く。

 「私は子供の頃、よく祖母に聞かされたことがあるんです。動物も物も、年月を経ると怪異になることがある、と」

 「怪異?」

 「ええ。日本には古来から、付喪神つくもがみという考え方があるんです。もののけというか妖怪というか、とにかく、100年の時を経た物は意思を持ち怪異となる。唐傘お化けなんかはそうでしょうね。長年存在してきた傘が意思と不思議な能力を持った。動物もそうです。100年生きた猫は猫又という妖怪になると言われています。人を化かす狐や狸も、長い年月を生き続けて得た異能を発揮している。同じように、狼も100年以上生きたら人狼となる……」





 「えっ?!」

 思わず大きな声をあげてしまった。今、そのものずばりの存在が現れたのだ。あれは、100年の時を生き続けた狼の化身なのか?

 反応が大きすぎたためか、岡谷は目を丸くして池上を見つめた。

 「いや、西洋では狼男というのは吸血鬼などと並んで有名なモンスターですが、日本でもそんな言い伝えがあるのでしょうか?」

 池上が慌てて誤魔化すように質問した。

 「あのようなタイプの怪物ではないでしょうが、古来より、狐憑きなどと同様に、狼に憑かれるというようなことがあったという伝承は散見されますね。ああ、そういえば……」

 何かを思い出そうとして、岡谷が首を捻る。なかなか浮かんでこないようで、難しそうな表情になっていった。

 「どうしました?」

 「やはり祖母に聞いたことがあるんですが、どこの話だったかなぁ? 昔、長寿の狼が悪事を働く人間を食い殺してまわったそうです。その恐ろしさとともに正義感の強さに畏敬の念を抱いた人たちが、狼が死んだ後、神として崇めるようになった。また、その骨を焼いて削って、薬として利用したという話があったような……」

 「それは、神奈川県内のことですか?」

 「そうですね。祖母はずっと小田原の方に住んでいましたから。私も子供の頃はそうでした。あの辺りの山の方に伝わる伝承ではないでしょうか?」

 何気なく立ち寄っただけの歴史博物館で、これほどいろいろな知識を得られるとは思わなかった。公的な学術施設はもっと評価されるべきだな、と改めて感じる池上。

 岡谷に礼を言い、帰路につく頃には夕暮れになっていた。

 狼信仰か……。

 登り始めた月を見ながら、池上は何かが繋がっていくような思いに囚われる。だがそれは、どこか辛さを伴っていた。


○ ↓第16話に続く。


  


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