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「迷い箸」を指摘したら差別主義者から嫌がらせ、中には「死刑宣告」も!マナー違反を指摘したらネットリンチされないといけないの?

先日、ミス関西大学コンテスト(Miss Campus KANDAI 2020)に出場している岸本沙季さんがInstagramで「迷い箸」をしているのをTwitterにして指摘したところ、思いも寄らぬ規模での反響を得ました。

その中には、私の容姿や持病を揶揄したり、あろうことか「死刑宣告」したりするものも多く、確認されました。

この記事では、明らかに過当なWebでのリアクション、つまり「ネットリンチ」について考えていきたいと思います。

「マナーを教えてくれない家庭もある!」けれど「家庭には言及するな!」

私の岸本さんへの指摘や批判に「マナーを教えてくれない家庭もある!」との主張もありました。

確かに、日本には様々な家庭があるでしょう。でも、「箸のマナー」なんて、公立小中学校でも、給食の時間や家庭科の授業で教わることです。だから、どんな家庭で育っていても、学校に通っていれば知っているはずの内容です。
*もちろん、いじめで小中学校に通えなかったとか、家庭でネグレクトを受けていて学校に通えなかったといったケースも想定されますが、それは「いじめ」や「ネグレクト」の問題で、「マナー違反への指摘」とは別の問題です。

その上で、彼女の周囲で既知となっていたり、彼女が既にWebにアップロードしたりしている情報から、彼女はマナーを教えてくれる可能性が高い、裕福な家庭のご出身であると判断できました。さらに、先の情報源より、恋人も裕福であるとのことから、「仮に(裕福な)家庭が教えてくれないとしても、近しい人間から教わることもできるよね」と、「教えてくれない家庭もある!」と主張への反証として、ご家庭や人間関係に関して言及しました。

しかし、「教えてくれない家庭もある!」との主張に、ご家庭や人間関係を持ち出して反証したら、「家庭や恋人には言及するな!」との意見を受けました。

だったら、「教えてくれない家庭もある!」との、家庭に踏み込んだ主張こそ、そもそも批判されるべきものでしょう。「教えてくれない家庭もある!」との主張に対して「そういう家庭とは考えにくいし、仮にそうだとしても周りの人間関係から教わることもできる」と反証して「家庭や人間関係に言及するな!」と叩かれるなら、それ以前に「教えてくれない家庭もある!」との主張自体を批判するべきでしょう。周知の情報や既にWebにアップロードされている情報をもとに家庭や人間関係について言及するのは、あくまで「教えてくれない家庭もある!」との的外れな主張への「反証」を目的としたものなのですから。
*さらに、どんな家庭や人間関係であろうとも、「箸の使い方」は小中学校の給食の時間や家庭科の授業で教わる内容であり、そもそも「教えてくれない家庭がある!」と主張すること自体がナンセンスです。しかも、先述の通りミス(ター)コンテストで活動するのであれば、どんなバックグラウンドがあれども所作や振る舞いには気をつける必要があり、まして、ミス(ター)コンテストにおいて有名になることを目的としてWebに公開する動画であれば尚更です。

「おじさん」「おっさん」なら叩いて良くて、「可愛い女子大生」なら擁護されるって、「差別」でしょう

別に記事で述べましたが、公共機関たる大学を代表する学生を選ぶ「ミス(ター)コンテスト」において、候補者は多様な観点から評価されるべきで、「マナーが悪くても見た目さえ良ければ、もしくは可愛らしく振る舞っていれば構わない」との姿勢はルッキズムやセクシズムとして糾弾されるべき思想です。

しかし、岸本さんが「可愛い」からマナーが悪くても「正義」と擁護する声も見受けられました。マナー違反と外見や容姿は本来、一切関係ないはずです。「可愛い」ならマナー違反も許す、との思想は「ルッキズム」に他なりません。また、女性に「可愛い」振る舞いを強要する「セクシズム」でしょう。

同時に、私を「おじさん」「おっさん」として吊し上げるツイートも数多くありました。「おじさん」「おっさん」は本来、中年男性を指す言葉で、22歳の私が浴びせられるものではありません。

それをTwitterで述べると「行動がおじさん/おっさん」という、明らかに「中年男性差別」としか思えない反応もありました。例えば「これは黒人の仕業だ」「こんなことをやるのは朝鮮人に決まっている」「これは女がやったに違いない」みたいな発言は明らかに差別であり、本来、これは「おじさん」「おっさん」であっても同様です。しかし、その差別の相手が「中年男性」もしくは本来的に同義である「おじさん」「おっさん」の場合、その差別が認容されている現実が指摘できます。いずれにせよ、「おじさん」「おっさん」であれば罵詈雑言を浴びせても良い、との思想も「セクシズム」です。

次に、「見た目がおじさん」との主張もありました。しかし、見た目が老けているから「おじさん」「おっさん」として罵倒されなければならないというのも、やはり「ルッキズム」です。

つまり、岸本さんやその振る舞いが「可愛い」から彼女のマナー違反を正当化していたり、私の容姿が「おじさん」「おっさん」に見えるから執拗な嫌がらせをしていたりする人たちは、紛うことなく「ルッキスト」「セクシスト」として糾弾されるべき「差別主義者」なのです。

「フィンガーボール」の逸話は良い話に聞こえるけれど

私に「フィンガーボール」の逸話を持ち出す方々も散見されました。確かに、エドワード8世や荒木貞夫が、フィンガーボールに入った水を誤って飲んでしまった客人に付き合って、自らもフィンガーボールに入った水を飲み干した逸話というのは、非常に良い話に聞こえます。

確かに、マナー違反を目撃しても黙っているのは一つの「解」かもしれません。しかし、そのマナー違反を指摘されなかった客人は、別の席でもフィンガーボールの水を飲み干すでしょう。もしかしたら、恥をかくかもしれません。だから、「マナー違反を指摘する」のも、もう一つの「解」たり得ます。

何より、ミス(ター)コンテストに出場して、著名になるために活動しているのであれば、その目的を達成するためにWebに公開された動画の内容を論評・批判されたとしても、それは岸本さん候補者が「受忍するべき程度」です。それが嫌なら、そもそも動画を投稿しないか、ミス(ター)コンテストに出場して著名な立場にならなければ良いのであって、「ミス(ター)コンテストに出場して有名になりたいので、この動画を見てください!」と公衆に広く動画を送信されているのに「悪く言うな!」というのは、以下の記事でも述べましたが「極めて都合が良い程度」として当然に批判され得るものです。

受忍限度を超えた「ネットリンチ」

一方で、それをWebの言論空間で批判する私も、私の主張への批判や論評は当然に受忍するべきでしょう。だから、なるべく(通知が届かないとか、抜け漏れがあったとかの可能性もありますから「完全」と言い切れないことはご容赦ください)異なる意見も読むようにしています。

例えば先述の「家庭や人間関係を反証として持ち出したことへの批評」や「フィンガーボールの逸話」は、まだ「議論」の範疇で、受忍するべき程度でしょう。

しかし、明らかに「受忍限度」を超えた「ネットリンチ」も散見されました。

例えば、私のプロフィール写真に「死刑の可能性」との文字を合成した、悪質な画像を投稿した人物も確認できました。

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何か違法行為をしたわけでもないのに、「死刑宣告」されなければならない妥当な理由が、いったいどこにあるというのでしょうか。もちろん、私は人を殺したわけでないし、内乱を起こしたわけでもありません。強盗、放火、ハイジャックや海賊行為も、していません。

「死刑」になど、なるはずがないのです。しかし、私はネットリンチの一環で「死刑宣告」されるに至ったのです。

さらには、私の容姿や体型を揶揄した投稿もありました。

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以前も別の記事で述べましたが、私は「潰瘍性大腸炎」という病気を患っています。その治療に用いるステロイド剤「レクタブル」には、「挫創(にきび)」や「むくみ」といった副作用があります。

難病を治療するために用いている薬の副作用を揶揄されなければならないとしたら、難病を悪化させて死ねば良いとでも言うのでしょうか。どんな洗顔をしようとも、このステロイド剤を使い続ける限りは「挫創(にきび)」や「むくみ」といった副作用が出現します。それを「ぽっちゃり」とか「肌荒れ」として、コケにされなければいけない理由なんて、本来ならどこにもありません。

ネットリンチをブロックしたら「真っ当な指摘や批判に答えていない」!?

このような、明確な人格攻撃や罵詈雑言に傷ついて、これらの発言を繰り返す人物をブロックしたり、Twitter運営会社に通報したりしたら、「真っ当な指摘や批判に耳を塞いでいる」との言い掛かりを受けることもありました。しかし、この「死刑宣告」や、「容姿や持病の揶揄」のいったいどこが、「真っ当な指摘や批判」なのでしょうか。明らかに受忍限度を超えています。

例えば、以下のようなご批判であれば、賛同するかはともかくとして、当然に受け止めて、耳を傾けるべきでしょう(ただし、すべてに返信や反論をしていると膨大な作業量になってしまいますから、略儀ながら「読む」に留めています)。
*とはいえ、先述の通り、方法論的には不本意ながら他に手段がなかったというのも、事実ではあります。

特に、先述の通り「自分をちやほやしてくれる、都合の良い意見だけ受け入れる態度はおかしい」と岸本さんを批判しているのですから、例え批判的なものであっても、きちんと目を通すようにしています。それが一貫した誠実な態度だと、認識しています。

それでも、例えば「死刑宣告」や「容姿や持病の揶揄」は明らかに「一線を越えている」と評価できますから、Twitterでブロックやミュート、クオリティフィルターといった機能を使ったり、運営会社に通報したりすることもあります。それは「真っ当な指摘や批判に耳を塞いでいる」とは別の次元のものであって、私自身の人格権や名誉権を守るための「当然の措置」に他なりません。

自死すら考えないと、ダメですか?

私も、相次ぐネットリンチを前に、著しい精神的苦痛を受けて、希死念慮すら抱きました。「死刑宣告」されたり、治療薬の副作用を揶揄されたりして、いっそのこと首を吊ったり、ナイフを胸に突き立てたりすれば楽になるのだろうかと、何度も思い詰めそうになりました。

「マナー違反の指摘」が自死すら考えなければいけないほどの重罪とは、到底思えません。しかし、相次ぐネットリンチを前に、もう「安全な場所」は現世にはない、とすら考えてしまっていました。

なぜなら、仮にツイートやアカウントを消しても「逃げた」と罵られ、投稿を残しても罵詈雑言を浴びせられ続けるのですから。「この世」にいる限り、犯罪行為をしたわけでもないのに「ネットリンチ」を浴びせられなければならないのですから。

しかし、仲の良い友達がメッセージを送ってくれたり、電話に付き合ったり、食事しながら話を聞いたりしてくれて、何とか立ち直ることができました。

あまりにも酷いので、弁護士さんと一緒に対応していくことにしました

そして、「当然の措置」として、弁護士さんとも相談しながらネットリンチに対処していくことにしました。仲の良い友達が紹介してくれた弁護士さんで、Webで検索すると、ある有名な事件での実績が出てきます。学生ということで、かなり割り引いて対応してくださっています。

まずは、Twitter運営会社への発信者情報開示請求への準備として、Twitterの各投稿について証拠保全を済ませました。他にも、法人登記で個人情報が特定できる人物については、既に住所や氏名を確認しています。

Webにおける誹謗中傷については以前も経験しており、必要な対応は熟知していますので、迅速に対応していきたいと考えています。

また、特に悪質な「ネットリンチ」については、独立した記事にしました。

おわりに

本稿の公開に先立って、大阪に赴いてミスター&ミス関西大学コンテスト(ミスター&ミスキャンパス関大2020)の関係者や、関西大学に通う学生にヒアリングをしてきました。

関係者によると、部内では岸本さんへの批判は特に問題になっていないらしく、詳しくは以下の記事で述べましたが「きっさき(岸本沙季さんのニックネーム)よりも、他にヤバい問題がある」とのことでした。また、関西大学の学生にインタビューをしたところ学内でも大きな話題にはなっていないようでした。

したがって、私に寄って集って嫌がらせをしたり、謝罪と反省を要求したりしていた人たちの「義憤」は根拠がなく、もはや彼らは「溜飲を下げる」「気に入らない相手に嫌がらせをする」ために私に突っ掛かっていたと考えるべきでしょう。

当然、そのような行為に正当性はありませんから、私としても、先述の通り、弁護士さんと一緒に対応していきたいと思います。

※本記事には「投げ銭」を設定しております。下記のボタンから記事を購入していただくと、私に届きます。また、その下にある「サポート」から私をご支援いただけると幸甚に存じ上げます。

※これらの「ネットリンチ」「誹謗中傷・罵詈雑言」に対処するための弁護士費用を、「記事の購入」および「サポート」にて、皆様からご支援いただければ幸いです。何卒ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

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