第5話 黒い砂 テケテケ誕生の物語【伏見警部補の都市伝説シリーズ】
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「ん……由美?」
カーテンの隙間から入ってくる光が、瑞江の顔を照らした。
ベッドに寄り掛かるようにして、由美と話したのは覚えている。でも今はどういうわけか、ベッドの上にいて、布団も掛けられている。
「由美……?」
由美はいなかった。
あんな話をしたから、いなくなってしまったのだろうか。ずっと友達だったような感覚でいたが、出会ってから一週間ちょっとで、あんな話を聞かされて、重かったかもしれない……
「ごめんね、由美……」
もう、戻ってこないかもしれない……そう思うと、また涙が溢れてきたが、なんとか起き上がって、部屋の中央にあるテーブルを見ると、紙が一枚置かれていた。
『少し留守にするけど、必ずまた会える。待ってて』
丸みを帯びた、かわいらしい文字で書かれたそれは、由美の筆跡で間違いなかった。
「どこに行ったんだろう……」
スマホを持っていない由美に連絡を取ることもできず、瑞江はノロノロと部屋を出ると、洗面台で自分の顔を見た。
「ひどい顔……」
思わず言葉が漏れる。
泣き腫らした目は充血しており、疲れ切っていて、気力が尽きかけているように見える。こんな顔を慶子に見られたらと思ったが、もう出かけているのか、ラップをかぶせた朝食が、リビングのテーブルに置かれている。
あと一日……
学校は休むことにしたが、状況は何も変わっていなかった。慶子は明日、新規顧客の家に行く。何かしら理由をつけないと、止めることはできない。いや、もし理由をつけて止めることができたとしても、先延ばしになるだけ……
畑中さえなんとかできれば、たぶん後はどうにかなる。しかし畑中は、もっとも狡猾で、頭も回る。金も、権力も……
朝食を食べる手は止まり、コーヒーが冷めても、どうすればいいのか分からなかった。もし現場を押さえることができたとして……それすら現実的ではないが……証拠を得ても、それだけでは不十分に思えた。
警察は畑中の味方だろうし、何かしらの理由……たとえば、合意があったとか、そういうプレイだったとか言い訳をつけて、うやむやした上で報復してくる。状況を収めた動画がネットで拡散されれば、隠蔽はできないだろうが、それは自爆テロのようなもので、瑞江と慶子、二人の人生も壊すことになる。
(畑中を殺すしか……)
そう思いかけて、瑞江は首を横に振った。
自分の中からそんな考えが出てきたことに、怖くなった。あの事件のときでさえ、考えなかったこと……
もう、正気を保つこともできなくなってきているのかもしれない。大切な人を守りたいのに、守る力も、知恵もない、それでもできることはと考えた先で追いつめられた心は、人としての感情を失いかけているのかもしれない。
「私、どうすればいいの……? 何が正しいの……?」
震える声に答えるものは、いなかった。
場違いなほど暖かく、明るい太陽の光が、瑞江の涙を照らしても、慰めも救いも、何もなかった。
-12-
「菊池、ビデオの準備できてるか?」
三脚に固定されたカメラをいじっている菊池に、畑中は言った。
「バッチリだ。他のカメラも確認済みだから、どの角度からも狙えるよ」
「よし」
畑中は、舌なめずりした。
端正な顔立ちをしている畑中は、爽やかな好青年を装い、大学でも自然と周囲に人が集まる。だが、一皮むけばナルシシストやマキャベリスト的な色が濃く、友達と言える存在はなく、取り巻きはそんな性質を分かったうえで従っている。頭さえ下げておけば、おこぼれがもらえて、何かあってももみ消してもらえるという”特権”が、繋がりを作っていた。
「いいかおまえら、ここはあくまで、勉強部屋だ」
畑中が言った。
「ちゃんと勉強もしろ。学生の本業は勉学だからな」
「先生、性の勉強は勉学に含まれますか?」
菊池が手を挙げると、畑中はニヤリとした。
「もちろん含まれる」
「だよね~(笑)」
品のない笑いが響く。
畑中と、取り巻きの四人……菊池、倉持、佐々木、江口は、最終チェックを済ませると、部屋を出た。
「じゃあ、明日な。遅れるなよ」
畑中が父親に頼んで借りてもらっている「勉強部屋」は、新築マンションの3階で、2DKの室内には、本棚とダブルベッド、ソファ以外は何もないが、ベッドのある部屋の壁は防音対策が施されている。
部屋は名目上、友達も自由に使えて一緒に勉強ができる部屋だが、実態は、ただの連れ込み部屋だった。
「さて、酒でも飲みに行くか」
畑中は一人、四人とは別方向へ歩き、飲み屋街に消えた。
その夜。
「ああ、くそ、早く明日にならねぇかなぁ……我慢した分、たっぷり楽しませてもらうぜ」
取り巻きの一人、倉持は、自宅でスマホ片手に動画を見ていた。
一階にいる両親はすでに寝ており、時刻は深夜1時を過ぎている。だが、明日を考えると興奮が巡って、眠ることができず、かといって動画に集中することもできず、惰性のようにスマホを眺めていた。
“バチンッ”
「うお……!」
突然、部屋の明かりが消えた。
「なんだ? 停電……?」
恐る恐る部屋のドアを開けると、廊下の電気は点いていて、テレビの電源をオンにすると、あっさりとついた。
「なんだよ、部屋の電気だけ壊れたのか? 使えねぇな……
……!」
自分以外誰もいないはずの部屋で肩を叩かれて、倉持を振り返った。
「うわぁぁぁ!!」
目の前に、顔があった。
そう見えた。
だが今は何も見えない。
「なんだ……なんだよ今の……うわっ!!」
立ち上がった瞬間、足の裏が天井を向いた。
「なに、なん……なんだよおい……!」
体が宙に浮き、頭に血が上っていく。
何かに足を掴まれている感覚がして、視線を天井のほうに向けると、下半身のない女が見下ろしているのが見えた。
「な……なに……」
何が起こってるのか理解できない倉持を見て、女は笑い、足を掴んだ手に力を込めた。
「ぎ……や、やめ……ぎゃあぁぁぁぁ!!!」
倉持は、床に背中から落ちた。
右足の足首から先は、力任せにねじ切られ、見たことがない量の血が、床に広がっていく。女の手には、倉持の足首から先が握られており、女はそれを見て、ニヤリとした。
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