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自己犠牲は美徳という迷信

■自己犠牲は美徳ではない

青の花 器の森という漫画があるのですが(大人の恋愛話、全10巻)、その漫画を読んでいて、ふと思ったことがあるので書いてみます。例によって、漫画の内容とはあまり関係がない話だったりしますが、人間関係で「つい」がんばってしまう人にとっては、けっこう重要なことかなと。かくいう僕も、以前はそういうところがありまして。がんばって人を喜ばせようとするけどカラ回るはしんどいは重宝されないわで大変でw

つまり、自己犠牲は不幸になる、ってことです。
この記事で扱う自己犠牲の定義は、自分の人生や生活に支障が出るほどの無理をして人を助けること。

自己犠牲というと、できる人はすごい、尊い、みたいな印象がありますが、実はそんなことないんですよね。正確には、自己犠牲してまで頑張るときは、自分の大切な人を守るためとか、そういう特殊な状況なので、普段から自己犠牲してしまうのは不幸へまっしぐらなのです。

今回は、「青の花 器の森」の登場人物を事例に上げつつ、なんで自己犠牲がダメなのか、というお話です。

■助けすぎて自分と自分の大切な人を不幸にする

青の花 器の森」は、大人の恋愛漫画です。
舞台は長崎の波佐見。そこにある陶磁器の工房で出会った、陶器に絵を描く絵師の青子(あおこ)と、北欧で器を作っていて、とある理由から青子が働く工房にやってきたイケメン、龍生(たつき)の恋模様を描いた物語です。が、二人の陶磁器に対する情熱、こだわりも魅力で、読んでいるとクリエイティブさ(俺も何か作りたいなぁみたいな)を刺激される面白さもあります。

青子と龍生は、最初は龍生が無愛想なところや、陶磁器に対する考え方も違う……絵師の青子に、白い器が好き、絵とかいらないと言ってしまう龍生くん……ので、ぶつかるわけですが、お互いを知っていくうちに、最初はお互いの作るものが好きだったものが、徐々に作り手である相手にも"好き"という感情を抱いていき、二人の過去のいろいろもあって、くっついたり離れたりという感じで進んでいくわけですが、途中で青子の元カレが登場します。

今回の記事で関係するのは、この元カレです。
青子の元カレは熊平という男で、総合的には決して悪い人間ではないのですが、本人が自覚していない問題があります。青子曰く、熊平は、困っている人がいると助けずにはいられない性格。実際、車が溝にハマって困っている御婦人の手助けをしたり、体調不良で倒れた店主のために、パン屋の手伝いをしたりと、部分的に見るといい人のように見えます。人当たりもいい。

ですが、まあ別の見方をすると、無神経です。
困ってる人を助けるなら、人の気持ちが分かるのかなと思いますが、実は分かってない。少なくとも、青子の気持ちをまったく分かってないところを見ると、サイコパスかこいつ、と思ったりもします(サイコパスではないけど)。

熊平は、数年前に青子と付き合っていたんですが、ボランティアに行く、一ヶ月で戻ると言って北海道に赴き、そこで出会った未亡人と子供に情が移ってそのまま居着いてしまい、青子に連絡することもなく、数年経った現在、突然帰ってきて青子にハグ(欧米圏のハグのノリみたいですが)して、何事もなかったように飯に行こうとか言ってしまう人間です。

困っている未亡人と子供を置いていけなかったという、一見すると優しさのように見えますが、自分を待っていてくれる人がいるのに、その人を犠牲にしてまで助けるのは優しさでも美徳でもありません。たぶん、そんな自分が好きなだけです。まあ感謝してもらえるのが嬉しいとか、人が喜んでくれるのが嬉しいとかって理由もあるかもですが、犠牲にしてるものに想像が及んでいない。

人を助けるために自分や自分の大事な人を犠牲にすることは、何一つ偉いことではなく、自分だけならともかく、自分の大切な人も犠牲にしちゃうんですよね……
「青の花 器の森」では、青子は戻って来るはずの恋人が戻らず、連絡もなく、恋愛に対してトラウマを負うことになったわけで、最悪の行動と言えます。

■自己犠牲で不幸になる理由

熊平は、自分の人生(北海道に行く前の人間関係や仕事など)と、青子という存在を犠牲にしたわけですが、自分が無理してでも仕事を引き受けたり、何かをしてあげることは、不幸を始めるぞ! ってスタートボタン押しちゃったようなもの。

困っている同僚や、以前助けてくれた人が困っているなら、手助けしてあげることは大事だとは思います。でも、それがずっと続いて、かつ自分の時間がなくなってしまうような場合、ここまでは助けられるけどこれ以上は無理、と区切りを決めないと、そっちに引っ張られちゃって、日常が泥沼に……

相手がたちの悪い、それこそサイコパスやマキャベリストのような人間だったら、いいように使われて疲弊して、得るものは何もない、ということになっちゃうんですよね。

自己犠牲するほどがんばっちゃう人って、断ることに謎の罪悪感を覚えてしまったり、やってあげればよかったかな、と後悔しちゃったりするので、そんな気持ちになるぐらいなら……と思ってがんばって助けてしまうなんてことがあると思います。

でも、自分の時間を犠牲にしてまで助けなくていいですよ。
自分の大切な人を助けるためなら、自己犠牲が必要なこともあるし、それは尊いことだと思います。でもそうでないなら、自分を削ってまで助けるのは変だし、そこまで要求してくるなら、相手も変です。

なので、大切な人以外を助ける場合は、「GIVE AND TAKE」や「Think again」といった著書で有名な、アダム・グラント先生の「5分ルール」を適応するといいと思います。

「5分ルール」とは、5分で助けられることだけ手助けする、ということです。
短か!! って思うかもしれませんが、自分が得意なことであれば、5分あればアドバイスしたり、こうすればいいよと答えを提示したりすることもできるはず。

たとえば、あなたが物理が得意で、物理の授業のことで教えて欲しいと言われたら、5分あれば何かしら教えられるでしょう。でも歴史が得意なら、5分で何かを教えるのは厳しい。そういうときは断ったほうがいい、ということですね。助けようとネットで検索したところで、時間がかかる上に大したことは分かりません。だって自分の専門じゃないしw そりゃあそうだって話ですよね。

仕事を頼まれたら、自分が持っている仕事と時間を考えて、30分残業が増えるぐらいで済む、そして30分残業しても特に問題ないという状況であれば手伝う、みたいなイメージです。

何でもかんでも助けたところで、実は対して感謝もされなければ、場合によってはいいように使われるし、自己犠牲という言葉通り、自分の将来やストレスケアのために使う時間を犠牲にして自分を追いつめたり、大切な人を悲しませたり、無駄に我慢させたりすることになるわけで、そんなものは美徳でも素晴らしいことでもなんでもないわけですね。

もし社長が、自己犠牲は尊いみたいなことを言ってたら、要注意ですね。
ブラックのニオイが……

■自己犠牲する代わりにあなたを大事に

まとめると、自己犠牲してまでがんばるぐらいなら、自分や大切な人のために時間を使ったほうがいい、というお話でした。自分を大事にした先に、自己犠牲せずに人を助けられる自分がいるわけで、そんな自分になれるようにしていくのが、自分と他人、どちらのためにもなると思います。

青の花 器の森を読んでみたいという方は、↓を参照に。電子書籍なら、シーモアなんかでも読めます。
僕はこの記事のような変なところを取り上げましたが、恋愛物語苦手、という人が読んでも面白いと思います。

青の花 器の森


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