対馬 金田城にて

唐・新羅連合軍に大敗した
西暦663年の白村江の戦い
以降、
対馬に城壁が築かれる。 

その一つの金田城に
登った。

日本最古の石垣とも
言われる城跡からは、

対馬のリアス式海岸の
遥か先に
大陸へと続く
大海原が一望できた。

まさにこの場所に
日本各地から
防人が集められ
敵国の船団に
目を光らせていたのだ。

緊急時には
まずここで狼煙が上げられ
壱岐に伝わり、
続いて太宰治を経由しながら
遠く畿内まで
リレーのように
情報が伝達された。

防人がこの日本最果ての地まで
招集されたことの悲哀は
万葉集のいくつかの
和歌に残されている。

澄み渡った青空、
心地よい海風を
感じつつも、

命懸けで
この地までやってきて
家族と永遠の別れを
強いられた
名もなき無数の人々のことを
想像した。

辛かったろうなぁ。

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