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「アイ・アム・ニューマン 新しい人生の見つけ方」の感想

コリンファースとエミリーブラントが出ているので見た。
見た後でrotten tomatoes を見に行ったら、ボロクソに貶されてて笑ってしまった。

散々な評価。
以下、雑なあらすじ。

主人公のウォレス(コリンファース)は、元プロゴルファーなんだけど、大成できずに引退し、今は別の仕事をしていて、反抗期入りかけくらいの息子とも上手くいってない。
なんだか自分の人生が嫌になっちゃったので、海で溺れ死んだことにして、ニューマンという新しい名前を手に入れ、新しい人生を送ることにする。
そんな中でマイケル(エミリーブラント)という精神不安定な女性と出会うんだけど、彼女も自らの身分を偽っていることを知る。彼女は自分の唯一の家族で、精神病棟に入院している姉の身分証を使っていた。
なんだかんだで2人は仲良くなって、家主が留守の家に忍び込んで遊んだりするんだけど、最終的にはこんな生活続けられないよねってなって、2人ともそれぞれの家族のもとに戻っていく。

そこまで絶望的な人生って訳でもないけど、息子に嫌われてるっぽいから家族を捨ててちょっと別人になってみて、同じく他人に成り代わってた精神不安定な女とプラトニックな出会いをして、でもやっぱセックスはして、しまくって、最終的に他人に成り代わるなんて上手くいきっこないんだからちゃんと生きなきゃねって女を勇気づけて終わってた。
セックスしてサッパリしたから息子とも向き合えそうだし、なんならしばらく離れてたおかげで息子も父親の大切さに気付いたっぽい。だからニューマン的にはオールオッケー。

と、クソつまらんクズ男の話と切り捨てることもできるんだけど、意外と面白かった。

誰でもなくなった2人は必然惹かれ合うことになる。なぜなら誰でもない人間と話すことができるのは同じ誰でもない人間だけだから。(補足1)

補足1
昔の知り合いと話すときにはニューマンはウォレスに戻ってしまうし(そもそも元の人生を捨ててるんだから知り合いと話すなんて言語道断)、そうでなくても誰かと深い関係になるとその時点で「誰か」にはなってしまう。

誰でもない2人はいろんな家に空き巣的にお邪魔して、いろんな2人として生き直してみる。(このシーンが面白かった)
だけど彼女が彼の、ウォレスとしての人生の核心の部分(息子との不和)に触れてしまったために、意図的に曖昧にしていた2人の関係は元プロゴルファーとその娼婦に固定されてしまう。
もはや誰でもない誰かを演じることが不可能になった2人は、お互いにインタビューする形で自分と向き合うことになり、ようやく自分の人生を生きる決意をする。

ヤバめな話の割にはコリンフォース(補足2)のおかげで不思議と嫌悪感は湧かなかった。凄い。
しかし主人公が、その行動に対して何の責任も引き受けないラストはあんまり納得いかない。
それならもういっそのこと2人で行き着くところまで行って欲しかった。なんとなく元いた場所に帰る。みたいな結末はあまりにも穏便すぎて若干の欺瞞を感じる。

補足2 コリンフォース
コリンファースの力のこと。コリン力。
コリンファースの力だけでなく、全編通して低体温の演出なのも良かった。これで終盤になってさも感動げな雰囲気を出してこられてたらムカついていたと思う。

それに、2人が所々でわりかし普通に過去の人生について話してるのもかなり気になった。2人とももっと本気でニューマンとマイクを演じろよ。なあなあで演ってんじゃねえよ。
冗談抜きで、このグダグダさはこの映画の決定的な欠点だと思う。2人とも自分達が作り出したルールに無自覚すぎる。

でもニューマン的にはオールオッケーだからいっか。
生真面目なコリンファースが徐々にはっちゃけていく様子と、エミリーブラントとイチャイチャしてる様子が見れたのでいい映画だと思った。

(しかしまあ普通に見れば主人公の行動は援交相手に説教するおっさんそのもので、そう見方をするにしてもだいぶ面白かった。)

・長崎の海星が圧勝してて嬉しかった。次の試合も頑張ってほしい。富山の高岡商業が惨敗してて悲しかった。

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