見出し画像

最近読んで面白かった本。「内なる町から来た話」他。

最近読んで面白かった本を読んだ順に挙げていく。

・内なる町から来た話/ショーン・タン

表紙の絵があまりに綺麗だったので読んだ。
絵本というには文字が多めで、挿絵付きの連作短編集という感じだった。テーマは動物。
ワニ、蝶々、マンボウ、1話につき1種類ずつ動物が出てきて、彼らと対峙することで、我々(人間)とはどんな生き物なのかを探るって感じ。最後には当然『人間』という動物が出てくる。分かってるね〜。
「ちょっと不思議」という意味でのSFっぽくて、静的な語り口や寓話的な雰囲気はテッドチャンっぽいなと思った。テッドチャンは大好きなのでこれも好き。
犬が好きなので犬の話と、あとフクロウの話と肺魚の話が好きだった。
しかし、話を読むよりももっぱら絵を眺めて楽しんでいた。
1番好きな絵は表紙にもなってるマンボウの絵とシャチの絵。次点でワニ(ワニは描かれてないけど)の絵と、蝶の絵。
カタツムリの絵も、湿気た夜の空気が感じられてめちゃめちゃ良かった。

・ペドロ・パラモ/フアン・ルルフォ

サルバドールプラセンシアの「紙の民」が面白かったので、ほかの南米の小説はどんなだろうと思って読んだ。
主人公が、会ったこともない父親、ペドロパラモを探してコマラへという村を訪れる。という話と、コマラで主人公が聞くことになる、大悪党ペドロパラモのありし日の話が混ざり合いながら進んでいく。
主人公が村に辿り着いた頃には、悪徳だったり愛情だったりの物語はどれもとっくに終わってしまっていて、もうここには人の幽霊と、廃墟という建物の幽霊しかない。
そんな感じの枯れた空気感が好きだった。
1回目に読んだときは訳分からなすぎて、あとがきを読むまで主人公が途中で死んでいることに気付かなかったりした。
①死者と生者の境目がはっきりしない。②主人公達から距離を置いた語り。というのが、今の所の南米文学への印象。

・スポメニック 旧ユーゴスラヴィアの巨大建造物/ドナルド・ニービル

「最後にして最初の人類」という映画で、スポメニックという旧ユーゴスラビアの巨大オブジェ群の存在を知り、この本を読んだ。
各地に点在するスポメニックが網羅されており、写真がいっぱいで面白かった。
一方でその土地の歴史だったりのキャプションはさほど面白くなかった。個々のスポメニックの奇妙な形が何を表しているのかという部分の説明があまりなかったのも残念。どれも単一のイデオロギーに基づいて建てられているから、個々のオブジェについて語れることはそんなにないんだろう。
文章で面白かったのは、冒頭のスポメニック概論のような部分。
曰く、スポメニックはユーゴスラビアが成立した後に、元は違う民族だった国民達に「同胞愛と統一」という単一のイデオロギーを与えるために作られた。しかし結局ユーゴスラビアは崩壊し、分裂してしまった。なので、旧ユーゴスラビア圏の国々からすると、このオブジェ群は負の歴史を思い出させるものでもあって、みんなこれらをどう扱うべきか決めかねているというのが現状らしい。

「同胞愛と統一」というイデオロギーを象徴する巨大オブジェ群が、結果的に分裂によって国が消えてしまった今も、雄大な姿のまま残っている不思議さ。破れた夢は、未だ山河に聳えている。
そんな感覚を味わえた。

自然の中で朽ちていくオブジェ群には廃墟っぽさもあるので、廃墟好きの人も楽しめそう。

・ウィトゲンシュタインの愛人/デイヴィッド・マークソン

以前ラジオで紹介されていた。前々からウィトゲンシュタインを読もうとして挫折するのを繰り返していたので、タイトルにも惹かれた。
内容は、人類が絶滅した世界で、唯一の生き残りの女性が、タイプライターに思いつくままを打ち込んでいくというもの。
「先ほど○○と言ったが、本当は××だったかもしれない。」
と一度断言したことですら、後に訂正されたり、更にそれが訂正されたりして、何一つ確かなことがないまま彼女の連想に付き合うことになる。
確かなことは、芸術史に詳しい誰かがこの文章を書いていることだけ。その誰か曰く、彼女はかつて息子を亡くし、そして人類はもう彼女しか残っていないらしい。
真面目に読もうとするとしんどいけど、与太話を聞いてる感覚で適当に読んでいくと、ちゃんとした文章になる前の彼女の頭の中を覗いているようで楽しい。

誰もいない世界での彼女の生活の様子も面白かった。世界中の名画を燃やして暖を取ったり、テニスボールをそこらじゅうに撒き散らしたり、住処を変えるときに「ここに誰かいる」という書き置きを残したり。

彼女の思考は、それが哲学になる手前でジャンプして別の話題に移ってしまう。「逃げんなおら!」と苛ついたけれど、後でそもそも彼女は何とも戦ってないことを思い出した。
逃げているという印象を受けたのなら、それは、あることから逃げるために連想を続けていたのだろうと最後まで読んで思った。

この本の最後、彼女の書く文章は「この海岸に誰かいる」という言葉だけを残して唐突に終わる。
本当に彼女以外の人間がいて、彼女は書くことに対する気持ちをフッと無くしてしまったんだろうか。
それとも、彼女はこの海岸を捨てて新しい場所へ向かった、これはその書き置きなのか。

後者だと思う。
そしてそのときに思うのは、これは誰が読んでいるんだろうということ。もちろん僕が読んでるんだけど、そういうことではなくて、この書き置きが散逸せずに本になっているということに対して、彼女が去った後にこの書き置きを読んだ誰か、2人目の生き残りの存在を感じたりした。
これは、「彼女の他にも誰かが生き残っていてほしい」っていう僕の願望なだけの気もするが、仮に誰かが生き残っていても彼女にとってあまり意味はないのかもなとも思う。世界がこうなる前から、どうやら彼女は孤独だったようだし。

・ウィトゲンシュタイン入門を読んでの追記
この話はウィトゲンシュタインとはほとんど関係ないことが分かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?