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「でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード」の感想

おっきい子犬かわいい、子供かわいいな映画だった。とても面白かった。
主人公が理知的で我慢強いので、どうしてもクリフォードを手放したくないというワガママも同情的に見られた。物分かりのいい子の、生まれて初めてのワガママだったんだろうな。みたいな。

宣言という手段

登場人物達が、スピーチによって問題解決を図っているのがアメリカ的だな〜と思った。

エミリーは群衆の前で、自分とクリフォードには一緒にいる権利があると宣言する。
一方でおじさんは、自分はダメ人間じゃない、自分は今こんなに素晴らしいことをしているのだとカメラの前で宣言する。
今作の悪役だって、クリフォードを手に入れるために、先手を取って公にクリフォードの所有権を宣言してしまう方法をとっていた。
さらに例を挙げるなら、ずっと母親からの電話を避けておじさんに代わってもらっていた主人公は、クライマックス付近でようやく母親に対して自分の自立性を宣言していた。

というように、この映画において、全ての物事の決着は宣言によって行われている。
(そう考えると、主人公の母親の職業が弁護士であることも、この映画を支配する価値観を表していると言える)

その例外は大きい赤い犬のクリフォードだ。
彼は人の言葉を持たないので、外界に対して宣言をしない。
この映画は、クリフォードとの言語化されない繋がりを守るために、あえてそれを言語化した宣言によって外界と戦っていくという映画だった。
アメリカ的な教育映画ってこういう形もとりうるのか、と面白く感じた。

全体の感想としては、犬が可愛かったし、子供達も可愛かったし、おじさんも可愛かったので良い映画だと思った。クリフォード最高〜!

その他、細かい感想。

・犬が赤すぎない?カラーひよこみたいな居た堪れなさがあるぞ?と思っていたら、児童文学が元ネタだったらしい。なるほど。

・子供2人で運転するのかわいい。

・お尻の匂いを嗅ぎたがるのかわいい。

・大きい犬の背中に乗ってニューヨークの街を駆け回るのが羨ましい。

・ブラッドウェルさんってそんな良い人か?子供に、明らかに過剰な夢を与えて消えてしまうのって、善悪とかではない気がする。(と思っていたら、元になった児童文学の作者がモデルになってるっぽい)

・作中で行われた宣言の例として、いじめっ子との対立も主人公の宣言で決着が付いていた。

・オーウェンが「一緒に寝ている」と口を滑らせてしまったお父さんを詰めるシーンが可愛かった。

・おしっこはまだ良いとして、うんちの処分はどうするんだろう。映画だから何か丸く収まってるけど、実際には飼うのは無理だよな。

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