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フェイブルマンズ/スティーヴン・スピルバーグ監督

スティーヴン・スピルバーグ監督の「フェイブルマンズ」を見る。自身の幼年期から映画の道に進むまでの日々を家族との関係を軸に描いた作品だ。1946年生まれで、76歳のハリウッド映画界きっての巨匠は、何を思ってこの小さく親密なテーマで映画を撮ったのか…。なんだか少し悲しい気分が残る映画でもある。なお物語の細部においてはフィクション的な要素が少なくないと思われる。

「フェイブルマンズ」は、クリスマスのイルミネーションが灯らないユダヤ人の一家フェイブルマン家の物語だ。父バート(ポール・ダノ)は有能なエンジニア、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)はピアニストだがプロの道は諦めたようだ。サミュエル少年(ガブリエル・ラベル)と妹2人、それから父親の親友で家族ぐるみの付き合いのバートおじさんが主な登場人物だ。

サミュエルは両親に連れられ、初めての映画「地上最大のショー」に衝撃を受ける。列車の衝突シーンに魅せられたサミュエルに、母ミッツィ は8ミリカメラを買い与え、それが彼の才能を開花させることになる。初めは妹たちを役者に映画を撮り、後にはボーイスカウト仲間を集めて西部劇や戦争映画を撮影する。それがきっかけで仲間の信頼を勝ち取るわけだ。

父親に家族旅行の撮影を頼まれ引き受けるものの、紛いなりにもキャストを動員した映画製作に比べ、それは何か二の次で、気乗りのしない作業だと感じていたのだが、あるきっかけでそのフィルムの編集をするうちに、家族の(母親のと言ってしまった方がよいか)小さな変化に気づいてしまう。

この映画からサミュエルの内に抱えるクイア性を読み解くフェミニズム批評/シェイクスピア研究者の北村紗衣氏のそれは慧眼だが、それはともかく、アメリカという国で生きるサミュエルという思春期の青年の撮る映画には、確かにある種の「男らしさ」への憧れはあったように思える。少なくとも映画は無意識を可視化する装置であり、また彼にとってはコンプレックスを克服する手段でもあったようだ。思い通りにはならない現実の自分と、映画という枠を通した超越的な自分との差分を埋め合わせる通過儀礼にも見える。

サミュエルが抱く母親に対する愛情は(母親も自分に似た芸術肌の息子を溺愛するのだが)、父親ではない意外な第三者に奪われてしまうわけだが、そういう失意も含め、その後の「監督スピルバーグ」としてサミュエルは映画制作にのめり込んでいくことになる。そこにデイヴィッド・リンチ扮するジョン・フォードをぶつけるあたりが物語の作り手として抜かりないところでもある。

監督:スティーヴン・スピルバーグ  
出演:ミシェル・ウィリアムズ | ポール・ダノ | セス・ローゲン


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