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夜ノ森駅から大野駅まで

その5 2024年6月30日 日曜日

承前 ホテルをチェックアウトする。10時08分富岡駅発、10時13分夜ノ森駅着。

夜ノ森駅の西口側を出て北に向かって歩く。突き当たり左手に「福祉の里」の看板がある。今は5つの施設とも移転し、そこには何もない。4月に来たときには、旧福島県立富岡養護学校もすでに更地となり、春を彩るはずだった桜の木も全て伐採されていた。赤土の空虚な土地。もうそれに気づく者もないだろう。すぐ先の高台にある福祉施設も、随分前に解体されてしまった。もとの入口付近には学園の門柱が残っていた。富岡町の復興事業の拠点が夜ノ森駅の東側に移るなか、大熊町との町堺に近いこの森林地区は、復興のロードマップにすら乗っていない。工事車両が通る以外は人と会うこともない。そもそもここには居住がないのだ。

養護学校跡
桜の切り株
門柱だけが残る

宅急便の車が追い越して行く。このまま西に進めば大熊町役場の本庁舎がある。全町避難から8年目の2019年4月に、大熊町は復興拠点があった大川原地区に役場の庁舎を新設した。役場と大野駅とは5キロほど離れている。

大熊町に入り、大野駅に向かって歩く。道中の線量は、平均してやや高めの0.3〜0.8μSv/hほどに収まっているが、スポット的に3〜5 μSv/hまで上昇し、さすがに少し焦った。そもそも徒歩で移動することなど想定されていないのだ。

雑草に覆い隠されている

熊川を越えると旧市街地が近くなってくる。大規模な除染と土地の造成が行われ、自分のような「遊歩者」は容赦なく迂回させられる。こちらも日曜が休工だとわかっており、工事現場の端を臨機応変に通行させてもらうこともある。

新しく家が建つのか

既に書いたように、今回の旅の目的のひとつは、2年前の2022年の7月に見た合歓ねむの木を探すことだ。合歓は夏の花だ。ピンク色の雄しべの花糸がふわふわと浮かぶように咲く。大野駅の商店街に沿いに合歓の木が咲いていた。時代的な流行りというのか、例えば宮城まり子の「ねむの木学園」の映画で見た、障害者たちの自由で豊かな感性を、自らの新しい生活に相応しいイメージとして心の片隅に刻み、この土地の人々に受容されたのかもしれない。

高度成長の歪み。エネルギー政策の転換。福島第一原発は1973年1月に1号機が運転を開始し、1979年までに6つの原子炉が稼働した。原発は雇用を生み、冬の出稼ぎの必要が無くなった。

大野駅西口「ようこそおおくまへいらっしゃいました」

来春のオープンをめざし、大野駅前の広い範囲に産業交流施設と大型商業施設の建設が進む。その開発計画に伴い、周辺地区も整備・再生が進めらる。そこはもう過去の誰かの庭ではない。桜の木も合歓の木も薙ぎ倒され、根こそぎ切り崩される。

中心部に入る前に右折し、旧役場の脇を抜け、線路を渡り駅の東側に出る。この先には中間貯蔵施設があり原発がある。線路ひとつ隔ててただけで何ら変わらぬはずだが、こちらの駅前には、まだ古い家屋も残っている。雑草に覆われた空き地に、低いねむの木を発見する。駅前の通りの奥に崩れかけた民家の前で合歓の木が花を咲かせていた。神社の敷地にある合歓の巨木は満開の花を咲かせていた。

大野駅東口方向から
大きな合歓の木を発見
駅前の児童公園の遊具も片付けられた

大野駅12時28分発、各駅停車いわき行きに乗車。数分の遅れでいわきに到着し、ぎりぎりのところで13時23分発の特急ひたち16号に乗り継ぐ。
15時42分東京駅着。 【了】

ひとときのまどろみを
木に返す
夢から夢へ
浅い眠りに浸された踵を
その人にそっと返す
まどろみの中の冴えたまなざし
まなざしの中で目覚めない夢
悲しみの水痕をなぞりあう指もまた
浮力のない夢だろうか
帰らぬ春の水嵩を追って
ききわけなく反り返る風よ眠れ
抱きとめる羽の葉の蔭で
静かに回り続ける糸巻き
はじめての夏の甘い糸を絡めて
吹きなさい重たい夢よ

糸くずに紛れて
紅に沈むひと日があるなら
夢は夢の場所へ帰るだろう
悲しみは悲しみの場所へ帰るだろう
だから
朝のない明るい水辺に
病んだ水掻きを捨てて
流れのままに漂って目を閉じる
ひきかえせぬよろこびの場所に
華がある

合歓/武田多恵子

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