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記憶の技法/池田千尋監督

2021-01-17鑑賞

池田千尋監督の『記憶の技法』を見ました。実は映画を見た後色々考え込んでしまって吉野朔実の原作漫画を読んでいます。自分は映画を見るときに原作を気にすることはほとんどないのですが、大まかに言えばほぼ原作に沿ってプロットが組み立てられていると言えるでしょう。初出は2002年のようです。
https://books.google.co.jp/books?id=usX8CgAAQBAJ&lpg=PP1&hl=ja&pg=PP1#v=onepage&q&f=false

修学旅行で韓国に行くことになった華蓮(かれん)は、パスポートのために取り寄せた戸籍抄本の記載から、4歳の時に現在の両親に養子として引き取られたことを知る。どうしてもたどり着けない「記憶」の先に何があったのか。修学力をキャンセルし、戸籍に記載された出生地の福岡に旅立つ。

戸籍から始まるミステリーなので、原作(の謄本)では華蓮の出生日が記されており、それは昭和60年5月と読める。1985年。現在高校2年生で16歳だとすると2001年が話の舞台になるので、華蓮は、原作の書かれた2002年時点でのリアルタイムの高校生であることがわかる。だから、どうしても石井杏奈が演じる現在(2020年)の高校生像とは映画の設定上どうしても開きがあり、それが脚本上の人物設定の齟齬となっているように感じてしまう。

そもそも「普通の高校生の女子」と「ちょっと不良で大人びた男子」(栗原吾郎)の形作る「青春映画」のプロトコルからはどんどんとズレ行き、その「記憶」は思わぬ凄惨な「事件」へと着地するという映画であった。

監督の池田千尋は早稲田一文→映画美学校→藝大大学院映像研究科と進んだ俊英で、『クリーピー』(黒沢清監督)や『空に住む』(青山真治監督)の共同脚本を務めていたりする。一つひとつのカットに集約される画面の美しさには驚かされるが、今回の脚本が池田自身の作でないのが少し残念に思った。上でも少し書いたが、脚本と編集のカット割りの相性は今ひとつだったように思った。どうしても「説明」が過多になり、また一方で唐突な、例えば母親(戸田菜穂)の作る「酢豚」の描写は、華蓮と母親との「距離」の描写になり得ていないところ等々。

監督:池田千尋  
出演:石井杏奈 | 栗原吾郎 | 柄本時生



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