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さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について/ドミニク・グラフ監督

1931年のベルリンを舞台にした、小説家を志すファビアン(トム・シリング)と女優を夢見るコルネリア(ザスキア・ローゼンダール)の比較的小さな物語である。日本でグラフ監督作品が紹介されるのは今回が初めてとのこと。1952年生まれ、さすがの手練れである。

夜な夜な街に繰り出し、享楽的な生活を送るファビアン。第一次大戦に従軍した彼の今はまた悪夢にうなされる日々でもある。

ファビアンの親友ラブーデは満を辞して大学へ哲学の学位論文を提出。二人はその足でキャバレーへと繰り出す。舞台上の素人がピアノの伴奏を背に自らの「主張」を訴え、一方で酒に酔った観客たちはそれを「肴」に罵倒し嘲笑し合うという、退廃時な出し物を売りにする(やれやれ…)。ラブーデが喧嘩に巻き込まれている間にファビアンはその場を抜け出し、バーで店番をする女性コルネリアと言葉を交わす。

自転車を押すコルネリアをファビアンは家まで送り届けるのだが、実はそこはファビアンの住むアパートでもあり、つまり彼女が隣室に越してきたばかりの隣人であったと判明する。かくなる偶然が二人の気持ちをますます高揚させ、隣室どうしの同棲生活が始まる。彼女の存在に生きる希望を持ち始めたファビアンだが、程なくコピーライターの仕事を解雇される。また一方でコルネリアは女優への夢を叶えるために、50男に囲われることを選択する。大不況に見舞われるドイツには失業者が溢れ、人々の気持ちは格差とともにますます荒んでゆく。

時代的には1930年9月の総選挙でナチスは第ニ党へ、続く32年7月には第一党へと躍進する。舞台はまさに独裁前夜である。その状況は映画内で逐一描かれるわけではないが、彼らの小さな希望は次第に蝕まれ、時代の波に押し流されて行く、そんな日々が描かれている。

映画の流れが変わるのは、論文が不受理となったラブーデが自らを銃で撃ち抜いてしまうところからだ。事件を知ったファビアンは担当教授に詰め寄り、彼の論文は実は高評価で審査を通っていたとの言説を得るが、政治的で共産主義思想を持つラブーデを苦々しく思う助手(?)の手で(ヒトラーにも似た髪型をしている)恣意的にそれが排除されたことを知り、失意のまま故郷のドレスデンに戻る決心をする。

ある日ファビアンは、コルネリアの映画デビューを新聞に見つけ、彼女と電話で連絡を取る決意する。彼女の方もファビアンへの思いを告げ、そして思い出のベルリンのカフェで再会を約束するのだが…。

辛い映画である。戦時のドイツ、ヒトラーやゲッペルス、あるいはアウシュビッツを描いた映画は山ほどある。だがことはすでに戦間期には始まっており、そのことに気が付いた時にはもう後戻りできないまでに世の中は変わってしまっているわけだ。この映画の冒頭は現代のベルリンの地下鉄駅での人々の後ろ姿を捉え、そこから急激に1931年のベルリンへと傾れ込んでいく。物語(フィクション)に挟み込まれる当時の写真(ドキュメント)にまた現代に引き戻される。原作者のケストナーは、ファシズムを非難したことから著作が梵鐘にされ、戦中には執筆を禁じられたことが知られているが、映画の中にも「本」が燃え上がるシーンがある。

3時間に及ぶこの映画を見ながらさまざまなことを思い浮かべる。私たちの国はどうなのだろうか。まだまだ大丈夫だと思うだろうか。機会があれば是非。

監督:ドミニク・グラフ  
出演:トム・シリング | ザスキア・ローゼンダール | アルブレヒト・シュッフ


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