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チタン/ジュリア・デュクルノー監督

例えば、多くの人は「万引き家族」(是枝裕和監督)や「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)をカンヌのパルムドールとして見るだろう。いずれも現代社会の闇を深く抉った作品ではあるのだが、だが、去年2021年のカンヌ映画祭での同賞受賞作、ジュリア・デュクルノー監督の「チタン」という映画を見た者ははたしてどれぐらいいるのか。ラオス・カラックス監督の「アネット」(監督賞)、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」(脚本賞)を抑え、女性監督としてはカンヌ史上2人目の最高賞を受賞したそれは、私たちの想像力を遥かに凌駕し、いや、むしろそれを粉々に打ち砕く、暴力と苦悶に満ちた現代の寓話であった。

父親の運転する車の事故で、頭蓋骨にチタンのプレートを埋め込まれたアレシア(アガト・ルセル)。彼女の中の異物と金属の塊である「車」との愛憎が寓意として物語に通底する。

アレシアはダンサーとして車のショールームで働いている。妖しい雰囲気に包まれた会場で、そのダンスは「車」とのエロチックな交歓のようにも見える。セクシーなダンサーたちにつきまとう「ファン」もいる。仕事の後、男に待ち伏せされたアレシアは身の危険を覚え、髪留めの鋭利な「棒」でその男を突き殺す。男の吐瀉物を洗い落とすために彼女は会場に戻るのだが、大きな力に誘われるように激しく「車」と性交する。

アレシアは自分の体に変化を覚える。二つの異物を身体に抱えた彼女はダンサー仲間のシェアハウスで住人4人を惨殺し、証拠を隠滅するために火を付けた衣服が引火し、炎は両親を部屋に閉じ込めたままの自宅を焼き尽くしてしまう。自らが指名手配されていることを知った彼女は、10年前に失踪した男の子アドリアンになりすますため、自らの顔を殴り、鼻を折って警察に投降する。

アレシアを迎えに来たのはヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)という初老の男で、消防士の隊長として「男たち」隊員数十人を指導する立場にある。アレシアは彼の息子アドリアンになりすますため、胸と膨らみゆく腹部をバンデージで強く締め上げる。初めは何かと干渉してくるヴァンサンに殺意を抱くが、「老い」に抗い自分の体に薬物を打つ男の苦悩を知るにつれ次第に心を開くようになる。かくして2人の奇妙な共同生活が…。

…見終えてからもう数日になるが、ずっとこの映画について考えている。惨殺の数々に初めは「見てしまった」ことを後悔したのは確かなのだが、こうして繰り返し思い返すたびに、この映画の黒いあり様に、心が強く締め付けられるのだ。

最近、映画を倍速で見ることの意義が問われるが、少なくともそれは、映画を後々までの自分の人生と対峙する者の見方ではないはずだ。映画で描かれた世界が私たちの現実と地続きであること、そして黒い異物と黒いエンジンオイルを満たした身体を受け止めること。ジュリア・デュクルノー監督の「チタン」とは、そういう者のための映画である

監督:ジュリア・デュクルノー
出演:ヴァンサン・ランドン | アガト・ルセル


劇中、マタイ受難曲もまあ良いのだが、この映画でのお勧めはこれである。ああ、この歌をこう解釈したのかと感心する。

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