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主戦場/ミキ・デザキ監督

午後6時半ごろ表参道駅から渋谷方向に歩いていくと、講義を終えたばかりの大学生たちとすれ違うことになる。いつもの癖で視覚のフレームの中に彼らの表情のひとつひとつを映し込みながら歩く。大学の正門を超えると今度は背中越しの彼らを眺め、追い越していくことになる。

自分に子供がいるとすればこのぐらいの年頃だろうか、と思ったりする。比較的恵まれた環境に育った彼らのことと、彼らを大切に育てたであろう親、同世代の友人のことなど考える。彼らはまだ「今」しか知らないわけだけれど、この20年なり30年なりを振り返って、自分は彼らが希望に満ちて、羽ばたいていける「社会」を作ることができたのだろうか、とも考える。

一部ではかなり話題になっているミキ・デザキ監督(日系アメリカ人だ)の『主戦場』を見に行った。小さな映画館だが満席で、通路にも人が溢れていた。
http://shusenjo.jp

「慰安婦」について様々な考えを持つ人がいるだろうと思う。だがたいていの場合はそれは漠然としたものであって、慰安婦問題とは何かということは単に個人の感覚の問題ではなく、どのような考えを持つ人がいて、そこにどのような構造があるかまでを突き詰めて考えることはほとんどないだろう。

大きくいえば「人権」の問題なのだが、その人権についての考え方に違いがある。あるいは「主権」の問題と言った方がわかりやすいかもしれない。デザキ監督はもともとYouTuberだったというのはいかにも現代的だが、彼が過去に日本で英語講師として生活し、主に「差別」について関心を持っていたと言うことは大事なことだと思われる。なんだろう、不思議なことだが、アメリカ人で日本の「慰安婦問題」を語るYouTuberという人も出てきて、つまり「慰安婦問題」を語る(または発信する)「主戦場」というのがアメリカにあって、それが私たちの生きる世界のバランスというのか、構造と底の部分で繋がっていることに改めて驚かされる。

サイトの登場人物にはクレジットされていないのだけれど、日砂恵ケネディさん、彼女はもともとカリフォルニア州グレンデール市での慰安婦像設置に反対する立場を示していた人なのだが、彼女の考え方の「変化」について語るところは非常に重要だ。

話を元に戻すと、「慰安婦問題」というのは単に慰安婦の問題というだけではなく、私がすれ違った多くの大学生たちを含めた若い世代の人たちの未来、10年後20年後を見据えた希望を、私たちが勝ち取ることができるかという「責任」と関わってくると思う。誰にとっても無関係ではない。

監督:ミキ・デザキ
2019年5月11日鑑賞

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