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マリアの本/ゴダール追悼2

都内で「ゴダールの80/90年代セレクション」が上映されていたのは偶然なのだろうが、新しい映画館で何かひとつ見ようと、頭に浮かんだのが『ゴダールのマリア』(1985年)だ。

『ゴダールのマリア』は「マリアの本」と「こんにちは、マリア」の二部構成の映画で、自分は冒頭30分ほどを占める「マリアの本」がとても好きだ。正確に言えば、「マリアの本」はゴダールのパートナーであるアンヌ=マリー・ミエヴィルが監督した短篇なのだが、(後半のスパイシーな処女懐胎映画「こんにちは、マリア」の方はゴダールが監督している)、二つの映画は全く無関係に、かつ分かち難く結びついている。

「マリアの本」は、11歳の少女マリー(レベッカ・ハンプトン)が両親の別居に立ち会う話だ。スタンダード画面の美しい固定ショットで、父親(ブリュノ・クレメール)と母親(オーロール・クレマン、そういえば先日見たシャンタル・アケルマン監督の「アンナの出会い」に主演していた)のすれ違いの言葉が描写される。

父親が家を出ることを聞かされるマリーは、自分の感情を言葉にできず、彼らの声を遮るその代替として、教師の口真似を演じるばかりだ。少女の繊細さが痛いほど伝わる描写である。父親の住むアパルトマンでの二人の時間も、他愛もない小さな会話がしみじみと心に響く。青いりんごと。

マリーは、父親が家に残してきた思い出のマーラーの「交響曲第9番」を大音量で再生し、それに合わせて即興で踊る。手に持った青リンゴを投げ捨てる…。地面を転がり、這いつくばり、くうを何度も殴りつける。

しかし最後はといえば、新しい恋人とデートに出かける母親を見送るというオチであって、食卓にひとり残されたマリーは、欧州統合阻止を説くニュースキャスターを演じ(時代を感る)、食卓の上のゆで卵の切っ先を…。

ゴダール以上にゴダール映画を撮る、アンヌ=マリー・ミエヴィルの世にも美しい逸品。


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