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大野駅から夜ノ森駅へ

2023年3月30日(木) Day 2 その2

今回は超望遠レンズと三脚も持参してきたのだが、とりあえずそれらを富岡のホテルに預け、10時57分発の特急で大野に向かうことにした。大野は富岡から二駅だけだが次の発車は2時間後の12時57分なので、他に選択肢はないと考える。特急料金は660円。

大野駅と大熊町役場と

11時05分大野駅着。小さな無人駅だが、ここでは必ず何組かの乗客が降り、そして必ず「迎えの人」が待っている。

 大野駅は大熊町にあり、福島第一原発の最寄り駅だ。その距離は約4.5キロと十分すぎるほど近いが、とはいえ簡単に歩いて行ける距離でもない。旧商店街は西口だが、今は東口にだけロータリーがあり、正面には雑草に埋もれた公園がある。

 この場に取り残されたのは自分ともうひとりだけ。路線バスが1日4便だけ運行しており、大野駅前から大隈町役場を経由して富岡駅まで行けるようだ。現在の町役場は大野駅から南西3.6キロにある。歩けば1時間以上は優にある。全町避難から8年目の2019年4月に、復興拠点があった大熊町大川原地区に役場の庁舎を新設した。去年2022年6月30日に特定復興再生拠点区域の避難指示が解除され、自分はそのすぐ後の7月11日にこの地を訪れている。

 普通の(コミュニティバスではなく)路線バスが駅前に到着する。11時25分大野駅前発。左手に空き地ばかりとなった旧市街を眺め、バスはゆっくりと前に進む。急ピッチに進む家屋の取り壊しに、そして取り壊された家の跡地に残された満開の桜の木に驚く。

 11時36分、役場前に到着。1000円札を両替機に入れると「まずは670円を手元に取って、それから残りを運賃箱に入れてください。」と運転士が言う。……不思議な物言いに戸惑っていると「大事ですからね」と。運賃は330円。ちょっとしたジョークなのかもしれないし、案外と真面目にそう言っているのかもしれない。

 建築雑誌を飾りそうな立派な2階建ての庁舎に広々とした駐車場があり、隣接して交流ゾーンがある。「おおくまーと」という商業施設内には何軒もの飲食店があり、昼前ということもありその場は活気に溢れていた。スーツ姿の集団が外のテーブルでランチ定食を食べていた。想定外のことについついカツカレーを頼んでしまった。

富岡町と

 Googleマップで見ると、大隈町役場から富岡町にある夜ノ森駅までは徒歩1時間となっている。前回の訪問では大野駅から夜ノ森駅まで1時間半かけて歩いたことを思えばだいぶ楽である(お腹もいっぱいだ)。
 建ち並ぶ災害公営住宅を越えて交通量の多い道から右に折れ、のどかな風景を少し進むと程なく富岡町に入ることになる。

 富岡町では2017年4月に町の9割の避難指示が解除されている。桜といってもソメイヨシノは自生するわけではない。そこに人の歴史がある。たとえ持ち主がいなくなっても、桜の木はその土地に残る…と想像してもいた。福島県立富岡養護学校(現福島県立富岡支援学校)は、原発事故により避難を余儀なくされ、いわき市へ、そして中・高等部は四ツ倉へと移転して、2024年度中に楢葉町(楢葉町楢葉北小学校跡地)での移転再開を目指しているという。竜田駅の近くだ。

 生徒がいなくなって12年目の養護学校では、今まさに解体工事が始まろうとしている。桜の木といえば学校のシンボルでもある。道路沿いに植えられていた桜の木は、伐採というよりは、むしろショベルカーでなぎ倒されたような無惨な姿でそこにある。ささくれだった太い幹の先端からは小さな枝が出て、小さな花を咲かせている。

夜ノ森駅と

さて、予定通り大隈町役場から約1時間かけて夜ノ森に到着する。

 「満開」の噂を聞きつけたか、昨日よりさらに多くの人が、夜ノ森桜を一目見ようと押し寄せていた。テレビ局のクルー、三脚上の超望遠レンズ付きのカメラと首から2台の計3台のカメラを操る剛腕?カメラマンも、その一角を占めている。観光客は(地元の人には見えない)道路にはみ出し、スマホのカメラを構えて、次々にこの状況をSNSに発信しようとする。それにしても、人の「やる気」とは恐ろしいものである。

 しかしメインの桜並木を外れると人通りはまるでない。ストリートビューの撮影車が頭に全方位カメラを乗せて町内を走り回る。取り残された廃墟、更地になった土地、売地の看板。夜ノ森地区の「特定復興再生拠点区域」の避難指示解除は、2日後の4月1日からとなる。

つづく

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