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日本自閉症スペクトラム学会20周年記念誌

日本自閉症スペクトラム学会20周年記念誌「新たな未来へ」の表紙です。作品を提供させて頂きました(写真)。

少し説明を加えますと、この件は「日本自閉症スペクトラム学会」の前身である「自閉症スペクトラム教育研究会」を立ち上げたのが、現在同学会の事務局長である寺山千代子先生で、当時、国立特殊教育研究所(現国立特別支援教育総合研究所)にいらした先生が、東京都立梅ヶ丘病院で院長をしていた父、中根晃に「研究会」の開催へのお声がけを頂いたことに始まります。梅ヶ丘病院は、子どもの精神医療の専門病院です(2010年に東京都立小児総合医療センターに統合されました)。「子どもの精神科」は戦後の新しい分野の医療で、1947年に児童福祉法が制定され、国立国府台病院(現国立国際医療研究センター国府台病院)に児童病棟、そして梅ヶ丘病院が開設されたそうです。父は1969年に同病院に自閉症病棟が開設されてからずっとその研究と臨床を続けて来ました。

さて、20年前といえば、まだ一般的には「自閉症」は馴染みも薄く、その自閉という言葉から当時社会問題となり始めた「引きこもり」と混同されることもありましたし、自閉症をスペクトラム(連続体)として捉えることも日本ではまだまだ新しい概念でした。そういう時代に、教育、医療、心理、福祉、それから自閉症者の親までを含めてネットワークを作る試みについては特筆されると思います。同研究会は2年後に「日本自閉症スペクトラム学会」になり現在に至ります。

まあ、それで私事なのですが、1996年に留学先から戻ってプラプラとしていた折に、寺山先生から(もちろん父を通してです)「自閉症者の描画集を作るので作品を見て欲しい」という依頼を受けました。日本ではまだ「アウトサイダーアート」に関する書籍等も少ない時代で、特に「自閉症者が描く絵画作品」についてまとまった研究も無い状況でした。彼らの美しい作品は「風の散歩 : Our artist's portfolio : 小さな芸術家たち」(コレール社/1999年)という書籍となり、私も各章の扉に短い文章を書かせて頂きました。この英語の副題「Our artist's portfolio」も私が付けたものだと思います。

「学会」との関係で言えば、確かに当初は研究大会に参加したりもしたのですが、何しろ父親が「会長」であり居づらかったこともありますし、美術家ではあっても研究者ではないのですぐに退会してしまいました(すみません)。とはいえ、その後も日本自閉症協会の顕彰論文の審査(美術部門がありましたので)のお手伝いを、これまた偉い先生方(石井哲夫先生、市川宏伸先生、宮崎英憲先生)と一緒に2004年から10年間やらせて頂き、各回のコメントを書いたりもしました。2013年に銀座で開催した「日本自閉症協会主催作品展」もその成果のひとつです。ちなみに日本自閉症協会は「親の会」の全国組織で自閉症の啓発活動等をしています。

2001年に「日本自閉症スペクトラム教育研究会報」に寄稿したテキストが(自分の展覧会用のテキストとして)残っておりましたのでご笑納ください。言っていることは今とほとんど変わらないようです。
https://hideonakane.com/text/2001KK.html

父は7年前に亡くなりましたが、寺山先生をはじめ多くの先生方のご尽力によって、当初の、例えば発達障害者支援法(2005年)を受け、学校教育法の改正による特殊教育から特別支援教育への転換(2007年)を経て、現在のインクルーシブ教育を含めた最新の教育指導要領に書き込まれるまでに至った20年の年月を思えばなかなか感慨深いものがあります。今後とも日本という国が「全ての人にとって」生きやすく暮らしやすい国であり、そのために努力しつづけることを願って止みません(まあ、言いたいことはたくさんあります)。

ありがとうございます。サポート頂いたお金は今後の活動に役立てようと思います。