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詩日記

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詩で綴る日常の記録
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亡き父の言葉を命日に噛みしめる

「やりたいことがあるなら やれるうちにやりなさい」 内定していた会社を辞退して音楽の道に進もうとした時も 父親の会社の社長職を退職してセミナー講師になろうとした時も 父はそう言って 僕が前に進む背中を押してくれた 僕がいま やりたいようにやり 生きたいように生きることが できるようになったのは 父の言葉があったから     1年前 母が急逝し 生きる気力をなくし どんどん小さくなっていく父 少しでも父に 生きる気力を取り戻してもらおうと 片道3時間の道を車を走らせ

神との詩と人間の詩をセットで綴ってみた

僕の綴りたい詩は 神の詩 それを綴るためには トリガーとなる人間の詩が 必要となる 以前 そんな記事を書いた そこで 『すべてが詩からはじまる国』の 住人になった気持ちで 人間の詩を綴り それに応じた神の詩を 綴ってみた 初めての試みだが なかなか面白い詩が 綴れた気がする 特に神の詩 何も考えずに スルスルスルっと 言葉がつながれていき 神が語り掛けているような 詩となった この神の詩は 僕では綴れない だけど 僕としての人間の詩があるからこそ綴れた 神の詩なん

文字と文字の間に広がる世界から詩を綴る

右脳優位に生きる これが僕の目下の課題 常に湧いてくる思考を止め フィルターをかけずに 万物をとらえる それを文字に起こし 詩を綴る そんな取り組みをしている 詩を左脳でとらえると どうしても文字に意識が向いてしまう 確かに詩を綴るというのは 文字を並べることであり 文字を意識するのは当然なこと しかし 僕が意識したいのは 文字が生み出される場の方だ 絵で例えるのであれば キャンパスに描かれている絵ではなく 絵が描かれる前のキャンパス そこに意識を向けるということだ 詩

言葉ひとつひとつに意識を向けて詩に生命を宿らせる

とあるアーティスト H氏の想いを 詩に変換する取り組みをしているが 課題になるのは 僕の意図を含ませないこと これがなかなか難しい 僕とH氏の付き合いは もう6、7年になるので シンクロしやすい反面 僕の意図も含ませやすくなる感覚がある 昨夜 実際にH氏とシンクロを試み H氏になりきって 詩を綴ってみた そこに出来上がったのは H氏の書いたであろう詩 それなりにはできてる だけど H氏が書いたかもしれない詩 になっているのだ まさにH氏が書いた詩 ではない 書いていて

自分の意図を挟まずに詩を綴ることの難しさ

昨日 縁があって とあるアーティストの想いを 詩にすることなった ハッキリ言って すごく難しい というのも そのアーティストの想いに 僕の意図を 乗せてしまいそうになるからだ アーティストから話をあれこれ聞く そこから湧いてくる言葉を並べ 詩にしていく それだけなのに 散らばりすぎた言葉を 詩にまとめていく時に 僕の意図が入り込んでしまいそうになる 僕が綴りたい詩は そのアーティストの想いを 一切のノイズなく変換された詩 そこに僕の意図が入り込むと ノイズが入ってしま

右脳と左脳を調和をさせて詩を綴りたい

今年に入って 僕が取り組んでいることのひとつは 左脳優位をやめる ということ 自分の思い描く新世界を実現するため ああだこうだと 左脳を使って思考を繰り返してきた それによって 様々な発見 学びはあったが 最大の学びは 左脳優位では新世界は実現に至らない ということ 身の安全を自動的に守るという点においては 左脳は素晴らしい役割を果たしている しかし 過去の記憶を引っ張り出してくるため 今この瞬間の喜びに気が付くことができない 所有と執着にまみれ 思考と そこに沸き立つ感

『すべてが詩からはじまる国』はブラックボックスしかない

すべてが詩からはじまる国には この国のビフォーアフターしか 書かれていない 国が滅亡したので 詩を中心にした生き方を始めた 結果 愛の国として栄えていった 簡単にそれだけが 書かれているだけ だから そのプロセスというのは 何もわからない 何がどうなって 滅亡した国が 愛の国となったのか? そこに住む人々の暮らしぶり 教育 金融 社会システム 政治 宗教 こうしたものの一切合切が ブラックボックスとなっている 極端に言うと ブラックボックスしかないのだ そして この

絶望の闇を光で照らすクリエイターたちと世界を変える

自分も世界も 本当はもっと愛に溢れ自由であるはずだと知っているのに 日常ではそれを感じることができず それでも愛と自由を携え 幸せに生きることを選び続ける そんなクリエイターたちと すべてが詩からはじまる国を 一緒につくっていきたい すべてが詩からはじまる国は 火と言葉の大きな力によって 滅亡した これまで当たり前だと思っていた日常 社会システムはそこにはない そんな絶望の中 心の闇の中にある小さな光を 大きくすることができるのは クリエイターたち それも 愛と自由を携

神の詩 人間の詩

僕の綴る詩に 僕はいなくてもいい 僕はそう思ってる 僕の綴りたい詩は 人間としての僕が綴る詩ではない 僕の経験や心情などを綴る詩ではない 僕が綴りたいのは 宇宙や大いなる存在といった 神の啓示のような 愛という源から湧いてくる 神の詩 だから 人間である僕は 神の詩にいなくてもいい しかし 神の詩を霊媒師のように降ろしてくるには 何らかのトリガーが必要になる気がしている そのトリガーとなるのは 人間の詩なのではないか 人間の詩と神の詩 これはセットなのではないか そう感

『すべてが詩からはじまる国』は国そのものがアート

セミナーをアートの域にまで昇華させたい セミナー講師になって16年 いつしかそんなことを考えるようになった アートをセミナーにしたものはある セミナーにアートを持ち込んだものもある しかし それ自体がアートになっているセミナーを 僕は知らない 僕の視点からすると セミナーというのは歪つ ステージだけが華やかだったり プレゼンターだけが煌びやかだったり どこか局所的で 全体でみると 美しくない セミナー講師 運営 テキスト スタッフの動き 参加者の動き セミナーを構成す

『すべてが詩からはじまる国』の住人として詩を綴る

すべてが詩からはじまる国 この空想世界に輪郭を持たせ カタチにしていきたい そのためには 僕自身が この国の住人の一人目になる必要がある すべてが詩からはじまる国は 2度滅びたところからスタート これまでの当たり前が壊れた国の住人 そこで詩人として詩を綴る これが すべてが詩からはじまる国を カタチにしていくためには 欠かせない すべてが詩からはじまる国は この空想世界を外側から見るか 内側から見るかで 詩の綴り方も変わる 表現の仕方が変わる どちら側を表現しても良いのだ

愛の詩を綴るために愛であることをやめない

愛でありたい 光でありたい 思い描く理想の詩人であるために その前に ひとりの人間として そうありたいと僕は願う 詩の魅力は 生き方で決まる だから どのような生き方がしたいかといえば 世界が絶望の淵に立たされた時 世界を照らす光でありたい 全てを完全に受容する愛でありたい 僕は光として 僕は愛として 綴りたいのは 光の詩であり 愛の詩 しかし どうしたら光になれるのだろう? どうしたら愛になれるのだろう? どうしたらそうなれるのだろうか? 僕には2人の子どもがいる

詩の魅力は書き方ではなく生き方で決まる

立っているだけで人が失神して倒れる キング・オブ・ポップと呼ばれたマイケル・ジャクソン 彼のライブ映像には そんなシーンが残されている 何もしていない ただ立っているだけ ただそこに存在しているだけ なのに圧倒的な存在感で場を支配する 驚くべき魅力 そんな彼に憧れて 彼の基準になれないものかと プレゼンテーションをする仲間と一緒に トレーニングをしていた時期がある 数年前の僕は プレゼンテーションのトレーナーだった 人前で話すことが苦手な人 それでも 人前に立って話さ

詩によって新世界に巻き込んでいく

全ての人が本当にやりたいことをやれる世界 全ての人が一切の束縛を受けることなく 心の思うまま存分にやりたいことをやれる そんな新世界の実現が僕のビジョン この新世界を実現するため どうしたら世界が変えられるか? について何年も研究を重ね 結果 わかったことは 「新世界を創ろうぜ!」 とその方法を教えることではなく 新世界を体現し 新世界を体験してもらうこと が大事なのだと みんなで理想の世界を創ろうぜ! ではなく みんなで理想の世界を表現してみようぜ! というエンターテ