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「個性」とは人と違うということではない

個性の尊重が加速している。

教育でも1人ひとりの個性を伸ばそうと言われ、テレビでも「個性的」なアイドルや芸人が注目を集める。

ほんとにどこもかしこも意味もわからずに個性だ個性だと叫ばれている。

しかしぼくには世間で使われている個性が受け入れられない。個性は奇抜なファッションでも、特異な容姿でも、持って生まれた才能でもない。人と接し、自分を見つめ、養っていく何かである、と思っている。

理屈っぽく言えば、個性とは他人と違うことではない。私とあなたは違う、にもかかわらず、私の考えがあなたに通じたとき、個性が生まれると思う。

太宰治が個性的な作家なのは、100年前の青森県に生まれたからではないだろう。100年前の青森県に生まれたにもかかわらず現代のぼくらの心を動かすから太宰は個性的な作家なのだ。

大事なのは「違い」ではなく、「普遍性」である。
私が私らしくあるために誰もやっていない格好をする。場を乱す。わがままに生きる。そんなことをする必要はないし、それは個性でもなんでもない。「こんな人間でもあなたに伝えたいものがあると訴えかける態度」こそが個性を養っていく。ただ悲しいことに思いは大抵挫折する。伝わらない、苦しい、寂しい。個性を養うとは地味で孤独な営みである。

ぼくは個性の育成はとても大事だと考えている。しかしそれは世間の考える個性とかなりずれている。個性とは何か立ち止まって考える必要がある。


だいぶ更新を怠っていました。すみません、大艦巨砲主義にならず、このくらいの量なら書けると思いますので、定期的に更新できるようがんばりたいです。今年もよろしくお願いします。

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