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遡及的時間: ジェンドリンの先駆者としてのベルクソン

ジェンドリンは心理療法的著作においても、哲学的著作においても、「現在の生きることがいかに過去を変えるのか」という独特な時間論を論じました。今回私は、その先駆けとしてアンリ・ベルクソンの時間論を取り上げます。ベルクソンの論述を参照することによって、ジェンドリンの哲学的著作を理解するだけでなく、彼がフォーカシングを提唱するきっかけなった彼自身のリサーチを、ロジャーズ派内の彼の兄弟子による先行研究 (Bergman, 1951) との関係から捉え直します。


現在の時点から過去の体験を振り返る

ジェンドリン独特の「遡及的時間」という発想について、これまで私はアメリカの哲学者、ジョージ・H・ミード (1863–1931) の時間論をその先駆けとして取り上げました (田中, 2024, September)。今回はフランスの哲学者、アンリ・ベルクソン (1859–1941) の時間論をもう一つの先駆けとして取り上げます。

ジェンドリンの哲学的主著『プロセスモデル』の第IV章Bは時間が論じられていて、その中に次の一節があります。

…私たちは、現在の生きることが過去をどのように変化させることができるのかについて考えることができるモデルを必要としている。どのような生き方が過去を変化させ、どのような生き方が過去を変化させないのか? (Gendlin, 1997/2018, p. 64; cf. ジェンドリン, 2023, p. 109)

上記の一節に対応する箇所を彼の実践的主著『フォーカシング指向心理療法』の中から見ていきましょう。

現在は…過去に新たな機能、新たな役割を与えるのである。その新たな役割の中で、過去は異なって「切り取られる」 (“sliced” differently) 。…辛辣な言い方をすれば、現在の体験過程が過去を変えるのである。 (Gendlin, 1996, p. 14; cf. ジェンドリン, 1998, pp. 36–7)


後続する出来事から先行する出来事を振り返る

後続する出来事から振り返ることによって、先行する出来事が異なって「切り取られる」という発想はベルクソンの著作にも見られます。ただし、セラピーの例と異なるのは、個人内の変化よりも、私が注目するベルクソンの論述は主に歴史的出来事の変遷を扱っているのです。

もし、ある出来事が常に任意の先行する出来事の選択によって後から説明できるのであれば、まったく別の出来事も、同じ状況において、別の先行する出来事の選択によって、いや、同じ先行する出来事が別の方法で切り取られ (otherwise cut out) 、別の方法で配分され、別の方法で認識されることによって、つまり、私たちの遡及的注意によって、同じようにうまく説明できたはずだということが、どうしてわからないのだろうか。時間の経過の中で、現在によって過去を、結果によって原因を、絶えず作り変えているのである。われわれはそれを見ない…。つねに同じ幻想の餌食となるのである…。 (Bergson, 1946, p. 122; cf. 1934, p. 114; ベルクソン, 2013, p. 159)

ジェンドリンも、「その人の過去がどのように語られるかは、歴史的出来事とはまったく異なる」 (Gendlin, 1997/2018, p. 64; cf. ジェンドリン, 2023, p. 109) ことは認めながらも、類似した点はあるとして、哲学書『プロセスモデル』では歴史的出来事の変遷に関する考察をおこなっています。

例えば、ある歴史的出来事が本当は何であったかは、その後の出来事がその意義をどのように発展させるかによって遡及的に決定される。ボスニア紛争は、オーストリア帝国の崩壊がそう「だった」ことの一部である。その崩壊という出来事は、現在の出来事によってsbsされるのである。 (Gendlin, 1997/2018, p. 64; cf. ジェンドリン, 2023, p. 109)

こうした出来事の遡及的な決定は、文化・芸術・科学的リサーチなど様々な分野での変遷や発展においても多かれ少なかれ当てはまることでしょう。ベルクソンによる文学の例を見てみましょう。

もしルソーやシャトーブリアンやヴィニーやヴィクトル・ユーゴーがいなかったら、古典以前の作家の中にロマン主義は認識されなかっただけでなく、実際に存在することもなかったことであろう…。ロマン主義は古典主義に遡及的に作用した。遡及的に、ロマン主義は過去の中に自らの予想するものを創造し、先人たちによって自らの説明を創造したのである。 (Bergson, 1946, pp. 24-5; cf. 1934, p. 16; ベルクソン, 2013, pp. 26–7)

私は文学にそれほど明るくはないので、ロマン主義から遡った古典主義のことを、音楽の例に置き換えて考察してみることにしましょう。もしベルリオーズやリストやワーグナーがいなかったら、ベートーヴェンの中にロマン主義は認識されなかっただけでなく、実際に存在することもなかったことでしょう。ロマン主義は過去のなかに自らの予想するものを創造し、先人たちによって自らの説明を創造したのです。

ここで、先のベルクソンの「同じ先行する出来事が異なって切り取られる」ということを適用してみましょう。ベートーヴェンの9つの交響曲のうち、ベルリオーズやリストの観点から振り返れば、第6交響曲『田園』が彼らによるロマン派標題音楽の先駆けとして切り取られるわけです。一方、ワーグナーの観点から振り返れば、第9交響曲『合唱付き』が彼による総合芸術の先駆けとして切り取られるわけです。このようにして、ベルリオーズやリストとワーグナーとは、別の方法で切り取ることによって、自らの説明を創造したわけです。

しかし、なぜこのように「異なって切り取られる」ことが可能なのでしょうか。それは、過去の出来事の意義は、固定した特性のリストとして前もって存在するのではなく、後続する人々によって新たに意義付けられることによって浮かび上がってくるのだという発想があるからなのでしょう。ベルクソンによる、民主主義の到来の例を挙げてみましょう。

現代の本質的な事実は、民主主義の到来である。当時の人々が語った過去の出来事の中に、来たるべき出来事の影があるのは紛れもない事実である。しかし、おそらく最も興味深い兆候は、人類がその方向に動いていることを知っていた場合にのみ注目されただろう、 というより、まだ存在していなかった。 なぜなら、その動きは、動きそのものによって、つまり、民主主義を構想し実現してきた人々の前進によって創造されたからである。それゆえ、前兆は、われわれの目には、われわれが今、進路を知っているから、進路が完成したからこその前兆にすぎない。進路も、その方向も、その結果としての結末も、これらの事実が生まれたときには、その終わりは示されていなかった。したがって、それらはまだ前兆ではないのである。 (Bergson, 1946, p. 26; cf. 1934, p. 17; ベルクソン, 2013, pp. 27–8)

民主主義の前兆が行われていた頃の人々にとっては、現代の人々と同じような意味で民主主義は「まだ存在していなかった」わけです。

以上のことから、振り返る後継者と振り返られる先駆者のあいだに認識のズレがあるということができます。例えば、ベートーヴェンなら草葉の陰で次のように反論したことでしょう。「私は田園交響曲によって古典派形式主義の限界を打ち破ったなどというつもりは毛頭ない。なぜならこの楽曲においても他の交響曲と同様にソナタ形式を使って第1楽章を構築したのだから」「私は合唱付き交響曲によって器楽の限界を打ち破ったなどというつもりは毛頭ない。なぜなら、この楽曲以前に既にオペラを作曲しており、この楽曲以後も継続的に器楽を作曲したのだから」。

このように、文学にしても、芸術にしても、思想にしても、歴史的変遷とは、先駆者が予測するのとは異なったかたちで進むという非連続性がありながら、後続する人々から振り返ると繋がりを見出すことができるという連続性も同時にあるわけです。すなわち、見る向きによって異なる不思議な非対称性があると考えられます。


科学的リサーチの例から

ベルクソンを参照しつつ、話をジェンドリンに戻しましょう。ジェンドリンは科学哲学論文「応答の秩序」 (Gendlin, 1997) において、科学の変遷の非連続性だけでなく連続性も論じています。それは、科学史家・科学哲学者トマス・クーン (1922–1996) について、彼なりの論評を加えている箇所です。

クーンは多くの人々に、科学は進歩するのではなく、単に変化するのだと納得させた。科学的なスタイルがシフトすると、有望な研究は捨てられる。ある疑問はもはや問われない。仮説は変化し、発見も変化する。しかしクーンは、変化する言明の間には決して関係がないとは言わないし、提案されたあらゆる変化が等しく正当化できる (できない) ものであるとも言わない。 (Gendlin, 1997, p. 394; 2018, p. 264; cf. ジェンドリン, 1998, p. 182)

「パラダイムシフト」 (Kuhn, 1962/2012; クーン, 2023) という彼の用語から想像されるように、通常クーンは科学的変遷の非連続性を強調した人として一般には紹介されるのが常です。しかし「クーンは変化する言明の間には決して関係がないとは言わない」とジェンドリンが論じていることからわかるように、こうした非連続的な飛躍のなかには、無秩序や恣意性とは異なる面もあることを彼は見出しているのです。こうしたところがジェンドリンらしいレビューであると言えるでしょう。

このような、非連続と連続の非対称性の例として、彼自身が関わっていた心理療法的リサーチを挙げてみましょう。1950年代半ば、ジェンドリンは、Seeman (1954) の「治療関係について話すことは、セラピーの成功と相関しない」という研究結果を継承し、「クライエントが “何を” 話すかは、セラピーの成功と相関しない」ことを発見しました (Gendlin et al., 1960) 。クライエントが「何を」話すかに関連する項目は「内容変数」と呼ばれ、「いかに」話すかに関連する他の項目は「過程変数」と呼ばれました (Gendlin, 1963) 。 (cf. 田中, 2004; 2016)

約10年後に自身の研究結果を論じた共著論文の脚注で、彼は、先ほど言及したジュリアス・シーマンに加えて、ロジャーズ・グループの先達としてダニエル・バーグマンに新たに言及しました。

しかし、Bergman (1951) の研究は、過程変数を先取りしており、後の発展にとって画期的なものであった。バーグマンは、異なるタイプのセラピストの応答と、それに続く異なるタイプのクライエントの発言を相関させた。「自己探究」と呼ばれるタイプのクライエントの発言は、あるタイプのセラピストの応答の後に、より頻繁に起こった。 (Gendlin et al., 1968, p. 241)

このように、ジェンドリンが数量研究を盛んに行っていた'50年代当初はバーグマンに一度も言及していなかったにもかかわらず、内容変数と過程変数という区別が出来上がった後になって、彼は遡ってバーグマンに言及したのです。これは、ベルクソンの言葉を借りれば、「進路が完成したからこその前兆だった」もしくは「先人によって自らの説明を創造した」ということになるでしょう。あるいはジェンドリン自身の言い回しを使えば、「バーグマンの業績が本当は何であったかは、その後のジェンドリン自身の業績がその意義をどのように発展させるかによって遡及的に決定された」ということになるでしょう。そういう意味では、バーグマンとジェンドリンの業績には連続性があるのです。

Bergman (1951) の論文を実際に私は読んでみました。たしかにのちのジェンドリンの観点から振り返れば過程変数に相当するリサーチ項目はありました。しかし、バーグマン自らが、内容変数と過程変数とを対比した論述は見当たりませんでした。つまり、先駆者として挙げられているバーグマンであれば、次のように反論したことでしょう。「私はクライエントが『何を』話すかではなく『いかに』話すかがセラピーの成功と相関していると主張したつもりは毛頭ない」。すなわち、民主主義の前兆が行われた頃の人々にとっては現在の人々と同じような意味で民主主義は「まだ存在していなかった」のと同様、過程変数の前兆をリサーチ項目として挙げたバーグマンにとっては、ジェンドリンと同じ意味で過程変数は「まだ存在していなかった」ということができるでしょう。そういう意味では、バーグマンとジェンドリンの業績には非連続性があるのです。


おわりに

以上、ジェンドリンによる「ある歴史的出来事が本当は何であったかは、その後の出来事がその意義をどのように発展させるかによって遡及的に決定される」という主張を、ベルクソンを参照しながら理解を進めました。理解の結果からジェンドリン自身のリサーチとその先駆の関係を考察しました。ジェンドリンは心理療法家として名を馳せたので、主要な著作においては、クライエント個人の体験過程の進捗を主に記述していたことは確かです。しかし、哲学書においては、個人を超えた人と人との間の伝承や発展なども射程に入れて論じていたのです。


文献

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田中秀男 (2024, September). 「ユニットモデル」や「内容モデル (パラダイム) 」に対するジェンドリンの立場: G・H・ミードの時間論から見た遡及的時間

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