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「ジェンドリン・シンポジウム2023」発表スライドと引用文の日本語訳

「ジェンドリン・シンポジウム2023」が先日オンラインで開催されました。今回私は招待講演者として発表をしたのでそのスライドの日本語訳をアップロードします。

私の発表内容は、「感じられた意味 (felt meaning)」の哲学的由来についてです。今日のフォーカシング実践において最も中核的な用語である「フェルトセンス」は、当初は「フェルトミーニング (感じられた意味)」と呼ばれており、心理学用語ではなく哲学用語として提唱されたのでした。発表の大意は以下のとおりです。

ジェンドリンが『体験過程と意味の創造』 (ECM) の元となった彼の博士論文を執筆したとき、当時の北米の主要潮流に対して自分の哲学的立場の意義を主張するために、「感じられた意味 (felt meaning)」という彼独自の用語を提唱する必要に迫られた。この用語を提唱するにあたり、彼の博士論文の指導教官が提唱した枠組みを採用した。指導教官の枠組みは、論理実証主義とプラグマティズムの間を調停するために提唱されたものであった。この枠組みの中に、ジェンドリンはディルタイ哲学の発想を密かに盛り込んだ。

以上が私の見解です。

私のプレゼンの目次は次の通りです:

[序論]
1 初期ジェンドリンにおける活動の変遷
2 ジェンドリンの修士論文とディルタイの哲学
3 ディルタイ哲学と論理実証主義の相容れなさ
4 プラグマティスト、モリスによる哲学間の仲介
5 「感じられた意味」の導出とディルタイ哲学の密かな盛り込み
6 結論


スライド上ですべて明示しなかったものも含め、引用文は以下の通りです:



[序論]

今日の私の哲学に最もラディカルな影響を与えたのは、おそらくヴィルヘルム・ディルタイだろう。それはハイデガーが取り組もうとしたものの入手できなかったものである。ディルタイの著作のこの重要な部分(第7巻)は、ハイデガーがディルタイを読まなくなった後になって出版された。(Gendlin, 1997, p. 41)


2 ジェンドリンの修士論文とディルタイの哲学

理解の種類と範囲は、生の表出の部類にしたがってさまざまである。(Dilthey, 1927a, p. 205; 2002c, p. 226; cf. ディルタイ, 2010c, p. 226)

概念、判断、より大なる思考形成物は、出どころの体験から切り離される。 (Dilthey, 1927a, p. 205; 2002c, p. 226; cf. ディルタイ, 2010c, p. 226)

したがって判断は、これを言明する人と、これを理解する人とでは同一である。(Dilthey, 1927a, pp. 205–6; 2002c, pp. 226–7; ディルタイ, 2010c, p. 226)

しかしながら同時に、理解する者にとって暗い背景や心的生の豊かな内容に対する理解の関係については何も分からない。 (Dilthey, 1927, p. 206; 2002c, p. 227; ディルタイ, 2010c, pp. 226–7)

体験の表現はまったく別である。体験の表現と、この表現を生み出す生と、そしてこの表現が獲得する理解とのあいだに、特別な関係が成立する。(Dilthey, 1927a, pp. 205–6; 2002c, pp. 226–7; ディルタイ, 2010c, p. 227)

覚えておいてほしいのは、感じそのものは、それを表現する言葉やイメージやその他の象徴以上のものだということです。ですから、ここは、言い方によっては混乱を招きやすいところです。もし私たちが、例えば「固さ」とか「悲しさ」などの相手が使う表現をまったくその感じ「そのものである」かのように扱いはじめると、混乱が起こるのです。フォーカシングをとおして、感じそのものにはどんな表現でもとらえきれない、それ以上のものがあることがわかっています。ガイドは、感じそのものとその表現のあいだの区別をいつも意識しておく責任があります。(Cornell, 1993, p. 31; コーネル, 1996, p. 60)

理解は、さまざまな語とこれらの意味の領域を離れて、記号の意味ではなくて、生の表出のはるかに深い意味を求めるのである。(Dilthey, 1927b, p. 234; 2002b, p. 254; cf. ディルタイ, 2010b, p. 260)


3 ディルタイ哲学と論理実証主義の相容れなさ


ディルタイ

科学はその伝統的な形では統一体をなしていない。(Carnap, 1931, p. 433; 1934, p. 31; カルナップ, 1986, p. 187)

精神科学の対象は…自然科学の対象とは基本的に種類が違い、それ故自然科学的方法では理解できないとされるのである。(Carnap, 1931, p. 434; 1934, p. 36; カルナップ, 1986, p. 190)

われわれは自然を説明し、心的生を理解する。(Dilthey, 1924, p. 144; 2010, p. 110; ディルタイ, 2003, p. 643)


カルナップ

科学は統一体をなしている。(Carnap, 1931, p. 433; 1934, p. 31; カルナップ, 1986, p. 188)

すべての言明は同じ言語によって表明することができ、すべての事態は同じ性質のものであり、同じ方法で認識することができる。(Carnap, 1931, p. 433; 1934, p. 31; カルナップ, 1986, p. 188)

すべての領域は統一科学の、すなわち物理学の一部分である。(Carnap, 1931, p. 465; 1934, p. 101; カルナップ, 1986, p. 239)


4 プラグマティスト、モリスによる哲学間の仲介

主としてプラグマティストは生命科学と密接な関係を持ち、論理実証主義者は数理科学と物理科学の影響を受けている。(Morris, 1936, p. 130)

とはいえ、この2つの動きは本質的に補完的なものであり、2つの傾向の意識的な異種交配 (cross-fertilization) には多くのことが期待できるというのが本稿の主張である。(Morris, 1936, p. 130)

シカゴでは、チャールズ・モリスが私の哲学的立場に最も近かった。彼はプラグマティズムと論理的経験主義の思想を融合させようとした。彼を通じて、私はプラグマティズム哲学、特にミードとデューイの哲学をよりよく理解することができた。(Carnap, 1963, p. 34)


5 「感じられた意味」の導出とディルタイ哲学の密かな盛り込み

シンボルには、人への関係、他のシンボルへの関係、対象への関係の3種類がある。すなわち、生物学的側面、形式主義的側面、経験主義的側面である。(Morris, 1936, pp. 135–6)

カルナップが、言語の統語的側面に対する初期の関心を超えて、意味論的側面の考察に踏み込んだことはよく知られている。(Morris, 1963, p. 87)

「語用論 (pragmatics)」という用語は明らかに「プラグマティズム (pragmatism)」という用語に関連して作り出されたものである。穏当な見方だと思うが、プラグマティズムの不変の意義は、それ以前にもまして詳しく記号 [シンボル] と使用者 [人] との関係に注意を向けたこと…にある。(Morris, 1938, pp. 29–30; モリス, 1988, pp. 51–2)

語用論的な研究の例をあげれば、同一の語の、異なる人にとっての異なる内包意味 (connotations) に関する心理学的研究などである。(Carnap, 1942, p. 10; cf. カルナップ, 1975, p. 19)

論理学者の中には、矛盾は演繹の標準的な使用をだめにしてしまうが他方その他の関心とは完全に両立可能であるかもしれないということは忘れて、矛盾に対する一般化された恐れをいだいている人がいるように思われる。言語的記号でさえも確証可能な命題を伝達すること以外の多くの用法を持っている。(Morris, 1938, p. 39; モリス, 1988, pp. 66–7)

意味は事象ではなくて機能的プロセスである。(Morris, 1936, p. 135)

記号学的な用語…は、独立した存在者を表わさずに、他の諸事物や諸性質とのある特定可能な機能的関係 (functional relations) にある諸事物や諸事物の諸性質を表わす。(Morris, 1938, pp. 44-5; cf. モリス, 1988, p.75)

意味には少なくとも2つの次元がある。すなわち、(1) シンボルどうしの関係や対象との関係、(2) その意味についての我々の経験である。(Gendlin, 1958, p. 1; 1962/1997, p. 44; cf. ジェンドリン, 1993, p. 70)

もし意味がこれらの「形式的」で「対象的」な関係だけだとしたら、私たちの会話は蓄音機のレコードの音声のようになってしまうだろう。…私たち人間が話したり、考えたり、読んだりするとき、私たちは意味を経験するのである。(Gendlin, 1958, pp. 1-2; 1962/1997, pp. 44-5; cf. ジェンドリン, 1993, pp. 69–70)

本稿では、経験されるものとしての意味を扱う。「感じられた意味」あるいは「経験された意味」という用語を用いる。読者には、意味の経験される次元を経験するときに、その次元をこれらの用語が指すことを認めていただくようお願いしたい。(Gendlin, 1958, p. 2; Gendlin, 1962/1997, p. 45; cf. ジェンドリン, 1993, p. 70)

「意味」はシンボルと感情との間の様々な機能的関係の観点から定義されなければならないことがわかった。…機能的関係から離れると、「シンボル」とは何かがはっきりしないし、感情を「感じられた意味」と呼ぶこともできない。…これらの機能は互いに依存しているので、「機能的関係」の中で述べられなければならない。(Gendlin, 1958, pp. 83-4; Gendlin, 1962/1997, p. 110; cf. ジェンドリン, 1993, p. 137–8)

言語的記号は伝達の機能のためには自発的な使用ができなければならない…。『精神・自我・社会』におけるミードの言語的記号 (有意味シンボルと呼ばれているもの) についての説明が…要点を扱っているように思われる。 (Morris, 1938, p. 36; モリス, 1988, p. 61)

わずか10語に満たないような言葉で何らかのメッセージを表現しようとする場合、わたしたちはただ意味を正確に伝えたいと思うものだが、詩人は表現そのものにおいて実際の生の流れ、情緒的な鼓動を扱うのである。このようにわたしたちの言語使用は広範囲にわたっている。しかし、この範囲のどの局面が使われようと言語を使うことは社会的活動一部分であることに変わりはない。そして言語が社会的活動の一部であるのはいつでも言語が他者に影響を与えるのと同じように自分自身にも影響を与えるからである。(Mead, 1934, p. 75; ミード, 2021, p. 81)

…ライオンは自分の唸り声にあからさまに驚いたりはしない…。(ミード, 2021, p. 69; Mead, 1934, pp. 63–4)

詩人は感じられた意味…を持っていて、それをシンボル化することを望んでいるとしよう。既存のシンボルの中には、彼の感じられた意味を正確に表しているものはない。したがって、詩人はシンボルを新しい方法で組み合わせようと努める。その結果、シンボルは読者に、あるいは読者である自分自身に、その経験を創造するのである。(Gendlin, 1958, p. 93; 1962/1997, p. 117; cf. ジェンドリン, 1993, p. 144)

…心的連関がそのなかで対象として把握される過程のもう一つの面は、体験の把握への進展であり、把握されることによって体験のなかに含まれているものはより適切で、より安定した、より根本的な表現へともたらされる。ここでもまた、体験の十全な代現と同時に、把握によって生じる超越との二重の関係が生じる。(Dilthey, 1927c, p. 30; 2002a, pp. 51–2; ディルタイ, 2010a, pp. 33–4)

...結果として生じたシンボルは、元の感じられた意味をシンボル化する。別の意味では、シンボルは感じられたを特定し、付け加え、超え出て、あるいはその一部にしか到達せず—要するに変化するのである。我々が関心があるのは、まさにこの二重の意味である。すなわち、シンボルは元の感じられた意味を正確にシンボル化すると同時に、それをいくらか変化させもするのである。(Gendlin, 1958, pp. 96-7; 1962/1997, p. 120; cf. ジェンドリン, 1993, p. 148)


文献

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Carnap, R. (1934). Physics as a universal science (M. Black, trans.). In The unity of science (pp. 31-101). K. Paul, Trench, Trubner.

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※ 発表そのものは英語でおこなったので、実際におこなったときの英語スライドに関しては下記のnote記事をご覧ください:

Presentation slides and quotes at the Gendlin Symposium 2023

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