県警察本部長の陳謝意味。
皆さんは、部下や企業を代表して謝罪するトップを多くTVなどで目にすることだろう。滋賀県警察でも5年ほどまえ同僚警察官を射殺した未成年の警察官の事件が起きました。当時の県警察本部長の謝罪会見の写真です。いかに軽くとも、いかに重職であろうとも頭を下げるときは下げるのです。当時未成年であった警察官の上司は新婚の赤ちゃんのいる方でした。こう書くと一方的に未成年の警察官を怒っているようですが、極めて人格形成で難しい問題でした。
いろいろと仕事上の指導を受け、パワハラや嫌がらせも指摘されました。今も昔も、職場とか学校とはそういうところです。誰もが、同様に被害者・加害者になる可能性を持っています。ところで、警察官は特別な仕事でしょか?違います。以前は自衛官や他の公務員同様に就職しやすい職場と言われていました。皆さんが公務員に憧れていた時代は、景気の悪い時代です。好景気や賃金上昇時は嫌われる職場です。
もう、やめたいのです。くたくたになり責任を取る。その正義感が部下を仲間に信頼されるわけです。うやむやにことを済ます人間では、誰も付いてこないです。特に、県警察本部長には現場を知らないとか汚れ仕事をやらないと不満や批判があります。実際は、警察署に配属されるところから本部長も仕事が始まります。6か月で警部補ですから出世は、早いように言われますが、少数の東京大学法学部卒業。ホントのエリートたちです。
警察官になりたくなかった。拳銃を撃つのが仕事ではない。行政官の最高峰として自分で選んだ道です。自分で自分を律し、社会の治安や危機管理に貢献する。自分自身の自己心を高める。素晴らしい素性に恵まれた人材です。どうにも、責任が逃げられないこともあります。安倍元総理の銃殺の件などですが、奈良県警察本部長も気の毒な方です。自分でこれまでやってきた社会の最高峰の任務を辞職せざるを得ない。今はあれから、上司などの支援で新しい生活を始められています。
見えない呪縛は、社会に強い影響を与えるものです。これでいい、そう考えたことが間違っていた状況も多数あります。今も県警察本部長、以前より昇進されています。恨みや悲しみを背負って生きているんですよ。
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