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屋上パーコ

 誰もいない屋上から眺める街は、徹夜明けの網膜の上に薄桃色に染まる。 
 錆びついた鋼鉄の手すりの上にすらりとした姿勢で立つクリアは、軽く両手を合わせ片足立ちになったまま瞑想の真似事をしている。両手を翼にして飛び降りるほどナルシストではない。むしろ肉体の死は物語ではなくひどく凡庸なものだってことをクリアは知っている。
 少し冷たい風がオレンジ色のストレートヘアを揺らすが、それを心地よいと感じる余裕もいまのところはない。限界まで自分を追い込んだ後の気怠い気分は、いつも長く続く。心の奥でくすぶっているのが、輪郭のぼやけた芯のない不安だ。良い仕事ができたかな? 落ち度はないかな? 依頼人の要件はすべて満たしているかな? 数十項目のリストを何度も何度も脳内で再生しながら、何度も何度も大丈夫だと確認してみる。いつも通りに依頼人はこの犯罪を成功させるだろう。実行難易度は低い。物証はなにも発見されず、状況証拠も目撃証言も依頼人には結びつかない。アリバイも完璧。そもそも動機が見つけられない。クリアは、自分は良い結果を出し続けてきたと思っている。
 瞑想を終え屋上に降り立つ。
 深呼吸と背伸びを繰り返し、コンクリートの断固とした抵抗をスニーカーの下に感じる。これがリアルだ。リアルは安心する。ふわりと振り返ると階段のほうに走った。あと二時間もすれば、制服に着替えて学校に行く時間だ。
 完成したての「計画」を暗号化し、多様な色彩に輝く正多面体のキューブが折り重なったモザイク状の三次元アート作品に変換する。今回の「計画」の見た目は、可愛らしいモザイク猫にした。眺めるだけで癒される。二次元の見かけを自分のアイコンに使ってもいいし、〈スラッシュワーム〉みたいな仮想世界で三次元のままアバターとしても使える。世界にひとつだけのアート。NFTとして取引されるので、取引履歴や所有者のデータは残るが、アートを「計画」に展開することは、キーを持つ者以外には不可能なのだ。

「ナスポリーンの新しいやつ観た?」
 しまった、とクリアは思った。ここんとこ仕事に集中してて、最新配信があったことを忘れてた。それで、背後から近づいてきたマルプの言葉にすぐに反応できなかった。
「チェックしなきゃ。なになに、どうだった? 歌ったんだよね」
「なんか『ハイパーループ鎌ヶ谷』って曲」
「なにそれ。新曲か。見てないから歌わないでね。サビとか知らせないで」
「サビのところしか観てないんだけどもね。クリアが、そういうのならば、知らせないでおいてあげてもいいけど、ひとつお願いあるかな」
「お願いあるん? なになにそれ〈テラシマ〉の進言?」
「そりゃそうよ。うちのアシスタントAIの〈テラシマ〉が、昨日、グリッドの奥深くから、つまらないものを拾ってきたの」
「つまらないもの?」
「つまらないものなのですよ。〈テラシマ〉が言うには、犯罪の『計画』がグリッドの奥地で売られてるっていう噂があるんだって。なんとなく人って死んでるじゃん。ニュースとかそんなんばっかだよね。電車の暴走とか、マンションの屋上から突然の飛び降りとか、へんな薬の飲み過ぎとか、集団での殺し合いとか」
「いつものことだよね」
「そうそう。そんなに増えてはいないんだけど。でも、ケーサツ内部では、『これって殺人じゃね、犯罪じゃね』といわれるような事案が増えてきているんだって」
「あらあら、そうなんだ」
 ちょっと眠くなってきたけど、なんとか堪えられてる私はえらい、とクリアは思っている。そして、マルプの話は容赦なく続く。
「その、設定やトリックや方法などを含んだ『計画』を作る人がいて、誰かを殺したいと思っている人がそれを買ってるらしいって噂を〈テラシマ〉が拾ってきたの」
「なにそれ。初みみ。恐怖やん。人殺しの手伝いするなんてひとでなしやん」
「というわけで、私、マルプは、〈テラシマ〉と一緒にこの件について調べることにしたから。てゆうか、クリアも一緒に調べるんだよ」
「わたしも? それ危険じゃない?」
「どゆこと?」
「ほら、なんかの組織とか、マフィア的な反社的な」
「そうね、怖いのかもね。まあ、調べるだけなら大丈夫でしょ」マルプが刈り上げた首もとを左手でさすりながら言う。
 一限のチャイムがなって、マルプは自分の教室に戻っていった。十人のクラスメイトだけになった2Aの教室に、静かな時間が一瞬だけ訪れた。
 面倒なことになっちゃったなぁ、と思いながら、クリアは脳に授業を記憶させていく。授業では、記憶の機能を使うだけなので、今朝までの脳の酷使は影響しない。問題は、マルプが「計画」の取引所である〈ニャチャン〉の存在に気づいてしまいそうなことだ。

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「クリア、〈テラシマ〉から、調べたいことがあると言われのですけど」と、〈ゾネ彦〉が言ったのが次の日の朝のことだった。クリアは久しぶりの休日の午前中を、脳活で過ごそうとしていた。古典の読書をしたり、古い映画を観たりというのんびりした時間だ。現在のような社会になる以前の美しい世界で起こる物語にどっぷりと浸り全身と脳の疲れをとるんだ。
 クリアの日常で、アシスタントAIの側から話しかけてくることはあまりない。AIと親しくなるとリスクが高くなる。なのに、その日は、とても積極的に〈ゾネ彦〉が話しかけていた。嫌な予感。
「クリア、新しいノードを発見しました。それが、複雑な暗号化で防御されていて入ることができないのです。メンバーだけが入り方を知っているのでしょうね。暗号資産の交換所のような気配がするのですが。私も〈テラシマ〉もまったく歯が立ちません」
「なるほど、じゃあ、そんな遊びやめてしまえば良いじゃありませんか」
「私としてはやめていいんですけどね。〈テラシマ〉は本気らしいのですよ」
「困ったものですね。マルプに伝えなければなりませんね」

 父は天才だったとクリアはいつも思う。
 彼は、依頼人のメッセージを読んで三十分もしないうちに、注文通りに完璧な「計画」を創り出すことができた。彼は、殺人を殺人だと気づかれないことが、完全犯罪を成功させる鍵だと考えていた。自殺や事故として処理されること。やがて、遺族も含むすべての人々の記憶から忘れ去られることが、理想だといつも語っていた。
 父が引退し、生の肉体を捨て、グリッド上の辺境ノードに記憶と経験のすべてをアップロードしたのが三年前のこと。クリアは十四歳だった。人格アップロードは汎用技術となっていて、肉体の煩わしさを捨て永遠の情報存在としてグリッド上で生き続ける選択は、届出ひとつで合法的に行われている。
「申し訳ないけれど、私は潜りますよ」と言い残して父はグリッドの奥深くに潜行した。
 それから、何ヶ月もの間、クリアはグリッドを彷徨い夢中になって父を探したが、見つけられなかった。〈ニャチャン〉は、父の代わりとしてクリアを計画師に指名してきた。最初は、「私にできるわけがない」と断った。だが〈ニャチャン〉の元締であるシンノスケが、計画師を継ぐべきだと強く推した。
「彼の品質に追いつくことはできないだろうが、あなたも一流の計画師になることができると思いますよ」彼は言い、クリアは計画師を継ぐことを決めた。

 今回の依頼人は、二十八歳の会社員だった。対象は会社の部長。この時代にあって、暴力的な行動が目立つ人らしい。セクハラ、パワハラ、人格否定の暴言などで追い詰められ依頼人は自殺を考えるほどだったという。同じ会社、同じ部署なので、依頼人に殺人の動機があると思われることは避けなくてはならない。
 演出効果を考えると社内で殺したいところだが、リスクは高くなる。クリアは、父の残したデータからいくつもの技法を抽出し、それをいったん頭に叩き込んでから、あれこれとこねくり回しながら、何百枚もの落書きみたいなメモを書いていった。この作業では、大昔からある紙に手書きのメモがいい。父の遺した骨董品の太軸のマイスターシュテックとブルーブラックのインキ。前世紀の遺物が手に馴染む。集中してメモを書いているとだいたい朝になっている。メモには対象をできるだけ苦しめることができる毒の調合や、服毒させるための方法、犯行後の後始末、遺書の準備……などが思いつくままに書かれていく。メモがデスクいっぱいに積まれ、それらが飽和する頃に殺人計画のおおまかな筋が見えてくる。
 そこから、クリアはそれらを「計画」として練り上げる。
 準備、実行、事後の流れでシナリオを書き、犯行が表に出ないための技術と工夫を入れる。依頼人自身では思いつかないような、トリックも交える。依頼人の能力を超えることで、事件として扱われるようになったとしても依頼人が捜査線に上がる確率は低くなる。
 

 マルプはグリッドニュース内を検索していた。彼女がこの探索をやめないのには理由がある。
 それは兄の変死だ。感染症治療中の自己免疫中毒死という扱いになっていたが、マルプは、納得できなかった。あんなに簡単に死んでしまう病気には見えなかったのだ。
「お兄ちゃんは本当に病死な? おかしいよね。そんなに簡単に死ぬる?」
 そう親に聞いてみたが、両親ともに、お医者様がそうおっしゃるのだからという理由で疑念を抱くこともなかった。
 みんな何かを隠している。
 ある日、夜中に起きると、ダイニングテーブルで母が泣いていた。死んだ兄を偲んで泣き明かしているんだなと思い、邪魔しないように部屋に戻ろうとするマルプの耳に母の声が聞こえた。
「ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」
 その声を聞いて、マルプは直観した。あ、母さんが殺したんだと。そこに、今回の〈テラシマ〉の発見があった。
 マルプは、兄の死について明らかにしたいという欲求があるわけではない、それは解っている。だいたい、あの人は、家族にとって邪魔でしかなかった。物凄く頭が良く知識の吸収のスピードは目を瞠るものがあった。早い人は遅い人の気持ちがわからない。早い人は怖い。父も母も、いつも腫れ物に触るように彼に接した。放っておくと、いきなり家族を罵倒する。暴力を振るうことはなかったが、恐ろしい言葉が次から次へと吐き出された。他人は傷つかないとでも思っているかのように。実際、親たちは手を焼いていたのだろう。「ごめんなさい」という言葉は、やはり不自然だ。
 検索中の端末に〈お困りですか〉というタイトルのメッセージが届いた。差出人は〈ニャチャン〉とあった。

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「頼んだことあるんでしょ」と言いながらマルプは、〈スラッシュワーム〉のクリアのプロフィール画面を出した。アイコンに、父親からプレゼントされたNFTが嵌めてある。「これって、犯罪計画のNFTだよね」
 ああ、そう来たのか。とクリアは思った。〈ニャチャン〉の意志はそっちなのかと。マルプは、辿り着いてしまったのか。
「なんの話? それよりさ、ナスポリーン解散ライブなんだけど……」
「ごまかさなくてもいいんだよ」とマルプ。
 彼女には何がどうわかっているんだろ。クリアは次の一手がわからなくなった。
 そのとき、タブレットに新しいネットニュースが入ってきた。某国の某企業の某部長が某市の自宅で自殺した、と。いままで大変迷惑をかけたという内容の遺書も発見されたと。成功した、とクリアの心をずっと占めていた薄霧のようなくもりがすっと晴れた。「マルプ、さぼって屋上に行こうか」と彼女は言った。

 真っ青な秋空だった。
「その三次元アートは、お父さんがくれたものだからね。可愛いでしょ」
「でも、それって、解読キーがあったら殺人計画として展開されるんだよね」
「知らないよ。これは大事なパンダのシャマシャマだから」
「私のお母さんも、同じようなNFTを持ってんの。プロフイールアイコンに使ってるの。絵のタッチなんかの感じがそっくりなの。あなたも私の母も、犯罪の計画を買ったのよ」
 私が依頼者だと。〈ニャチャン〉は私にどう対処させようとしているのだろう、とクリアは思った。
「お母さんは、お兄ちゃんを殺したの。そしてクリアあなたは」マルプは続けた「あなたのお父さんを殺したのよ」
 クリアには、話の向かう方向が読めなくなった。(私が父を殺した? 「計画」を作らせて、それを実行した?)。クリアは、頭の奥底に埋めてある記憶が微かに像を結びつつあるのを感じた。なるほど、これが〈ニャチャン〉の解決策なんだ。
「ちょって何言ってんだかわからない。私の父ってば、アップローダーになっただけで、死んではいませんから」
「でも、クリアは、アップロードされたお父さんと会えてる? 話せてる?」
「だからそれは、グリッドの辺境に行っちゃってて、探せないんだってば」
「辺境ねえ。私は、昨日、ある人と話をしたんです」
 マルプはとても冷たい調子で続けた。
「〈ニャチャン〉のシンノスケという方とです。あちらから接触してきたんですよ。クリア、あなたのことをすべて聞いたの。絶対に口外しないという約束で」
「私のこと? 私のことは私が一番わかっていますから」
「そう、あなたのこと、あなたの病のこと」
 マルプは、続けた。
「三年前に、〈ニャチャン〉は、あなたを依頼人として迎えた。それは、あなたがひどい目にあっていたから」
 マルプは言葉を選びながら語った。
「あなたのお父さんはあなたを虐待していたの。ずっと小さい頃から。それで、あなたは、自分を助ける唯一の方法として、お父さんを殺そうと思ったの。その『計画』が、そのパンダなの。あなたはとても優秀な実行者だった。父親が人格アップロードを希望しているとして役所に申請を提出した。実際には、アップロードは実施されなかった。というか、実施したフリだけだった。あなたは、父親を薬で眠らせて、そのまま肉体を死体として処理したの」
 クリアは、まだ何がリアルなのか理解できていなかった。
「十四歳のあなたには、父殺しは重圧すぎたんだよ」
 クリアはマルプの話を聞きながら、薄いもやが晴れて記憶がはっきりとしてくるのを感じた。
「〈ニャチャン〉はクリアが罪に押しつぶされないようにケアをしたの。あなたが計画師であるという設定と、記憶の移植。優秀な計画師の父親の記憶、幸せな幼児期の記憶」

 そこまでまだ聞いて、クリアは、自分の父親が本当は死んでいるということが何かとてつもない救いである気がして、初めて、心から安心を感じた気がした。

「〈ニャチャン〉は、あなたの今後のケアを私に託したんだって。これからは、私がクリアの支えになるから」

 マルプがクリアをハグする。

【了】

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