致知2023年7月号(特集「学を為す故に書を読む」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。
今回は「学を為す故に書を読む」です。これは、江戸時代後期の陽明学者・佐藤一斎の『言志四録』にある言葉です。「読書は学問のための手段である」ということです。
どんな時代でも、どんな年齢になっても、書から学ぶものは大きいです。しかし、仮に同じ書でも、読み方、読むタイミングによって、感じ方、学べることも変わってくるものと感じます。だから書を読むということは、いつまでたっても飽きがこないものです。とはいえ、あくまでも学問のための手段であるとの捉え方です。では学問は何のためにあるのか、というと、私自身は「実践」と捉えて良いのではと思っています。
巻頭:後藤俊彦さん(高千穂神社・宮司)p2
「個」の重視といわれてから久しいです。しかしながら、それは「孤独」になっていないだろうか、ということを直視する必要があります。「家と家族」が国を構成するとして、家族のあり方が軽んじられているとすると、極めて危険な兆候ともいえます。まさに現代は、そのような状態に陥っているといえ、それが豊かさを感じにくくなっている原因の一つなのかもしれません。国家の基礎としての家と家族の大切さを改めて確認させていただく良い機会でした。
リード:藤尾秀昭さん 特集「学を為す故に書を読む」p8
自身を振り返ったときにどう感じるだろうか。単に本を読んだだけでに止まり、実践ができていないのではなかろうか。そして実践からまた本に戻るということをやっているだろうか。それが本当に厳しい修行なのです。それを継続していけば、身体が老いても精神は衰え知らず、むしろ向上します。そして、それが多くの人の心を照らすとすれば、これ以上の幸せはないのではないのではないかと思います。
最後に森信三さんの金言もが紹介されています。
ただ本を読んでいる、ということがないだろうか。血肉になっているだろうか。血肉としているだろうか。ここは、改めて確認をしなければならないことだと思います。「生まれつきの生地や性根までも、これを根こそぎ改変」です。学問の厳しさを改めて認識しなければならないと感じた言葉です。
とはいえ、「生まれつきの生地や性根までも、これを根こそぎ改変」当いうのはあまりにも次元が違いすぎ、また、目標としてはやや遠い感がしました。森先生は、『人生二度なし』で、「読書法」について以下のように述べられています。
だんだん分かってきた感がします。「自分の現在当面している現実のいろいろな問題に対して、いったいどう対処したらよいか」ということに対し、読書が威力を発揮するという説明であれば、一定程度、納得感といいましょうか、「明日から使える」というものになるでしょう。
人生を豊かにする一生モノの読書術 鎌田浩毅さん p26
「すごく分厚い本を一生懸命読みました」、ということも大事です。一方、ほんの少し読んで目の前の課題が解決すれば、それが一番よいと思います。むしろそちらの方が大切なのかもしれない。そして、本を読んでも大体は忘れるとすれば、自分が前よりも変わりましたということであれば良いということになります。ほんの少しの変化を楽しむ、そして、実感する、その積み重ねが長年になると相当の差になってくるのでしょう。
国語力が子供たちの人生の土台をつくる 小泉敏男さん p30
教育の必要再現性と、すべては個別であること。一瞬、矛盾であるようにも見えるが、重要な示唆を与えていると思われる。現代の教員の中には、そのような方も多いのだろう。そして、自身もそうなっていないか。仮に、「新鮮な感覚」がないとしたら、まだまだ改善の余地はあるのだろう。そして、その拠り所の一つが古典であることも間違いない。新鮮な感覚がなくなったときの「振る舞い」は大いに参考になる。
向かい風の時には自分に深みをつけよ 堤裕さん p36
「向かい風」、まさにつらい時に自分自身をどのようにするか。その時にも感謝し、自分の仕事の指針になってくれるか、であると思います。
しかしどういても辛いときは辛いものがあります。その際に良書に巡り会い、実践していくというのはとても大切なことなのではないかと思います。その時に、確かな「深み」がつくものと思います。
自分を変え、夢を叶えるための読書 望月俊孝さん p40
本を読むための一番の目的は、本そのものにあるのではなく、自身の思い、行動、夢などにしっかりと当てて考えられたときです。どうしても読むことだけに満足し、何となくの達成感を得られたような気分になってしまいます。改めて「何のために」ということをしっかりと認識することで、真の価値が芽生えるのでしょう。