真っ当な生への疑問
伊達政宗の霊廟である瑞宝殿はただ煌びやかだ。
しかし、目の前の建物は、復元されたものだ。
国宝であった本来の建物は
、第二次世界大戦時に、アメリカ軍の大空襲に遭って惜しくも焼失した。
戦争とは、いつの時代も
こういった貴重な歴史の記念物を破壊してしまう。
違う意味での「諸行無常」と言えるのかもしれない。
ただ、その当時、アメリカ軍の中でも、京都や奈良は文化的な価値があるから攻撃の対象外になったということだ。
しかし、それは欺瞞でしかない。
文化に優劣などあるわけもなく、破壊する、残す。
そういった選別は本来とてつもない欺瞞に過ぎない。
そもそも破壊していい文化などあり得ないからだ。
そして、それを象徴する有形の文化財が破壊されたとて、「文化」そのものは決して破壊されるものではない。
そもそも人は過去であろうと今であろうと、「生活」そのものに文化を見いだすものだ。
「お子様の墓地だって・・。」
彼女がいきなり道の入り口を見つけた。
ふむ、行ってみない手はないか。
そういえば、ここの小山一帯は、伊達家の「墓所」なのだ。
そしてここに、様々な「生涯」の記憶があるのだ。
数限りない人々の生きた時間のelement、考えてみれば、それらが集積した場が「墓所」なのだろう。
そう考えると「墓地」というとらえが、自分的にまた違ったものに見えてくるから不思議だ。
そこは幼くして亡くなった若君や、側室たちの墓所だった。印象的だったのは、墓石そのものより、
後の追善供養のモニュメントの多さだった。
「早くに亡くなった人は、残された人が多いって事かな。」
彼女は閑かにうなずくだけだった。
それは、自らの生に対する素直な感情だったのだろう。
深くは問うまい。ただ、共感するだけだ。
それは、自分の心にとってもだ。
あらがわず、受け止めることなのだ。
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