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どうせなら「東洋思想」の沼にはまってみるか・・。その10

「身分道徳」という考え方、これを生活哲学に置きかえてみた。

  身分というと、現代の人権思想を下敷きにすれば、
とてつもない封建的思想である。
と捉える節もありますが、
ここで言う「身分」は、意味合いがちょいとちがいます。

 ここで言う「身分」とは、
むしろリーダーとフォロアーの関係に近いのではないのか。
と、こういう新解釈をあたしはしてみたわけです。

 朱子学では、「己の分に従う」事が美徳であるとします。
これが節度ある美しさこそが礼節である。というわけです。

 万物は上下や尊卑といった定分があるというわけです。
これをそれぞれが自覚し、その責任を全うすることで、
理が成立するというわけです。

 この身分とは、己が与えられた役割であって、
これを徹底することがすべて上手くいく源であるよ。
というスタンスです。
 すなわち言ってみれば、社会におけるチームワークです。

 ですからおのおのが自分の「分」を自覚し全うする事で、
秩序天の理が全うし、世の秩序が叶うとしました。

 しかしながら、この「理」による思想体系は、
迫り来る異民族モンゴルの攻略に対する
漢民族のせめてもの抵抗であったのです。

 武がすべてを制する世の中において、
せめてこの名分論による抵抗を試みたのは、
漢民族の危機を象徴するものでもあったかも知れません。

 朱子さんはこういった「名分論」によって、
漢民族の「国粋主義」を主張したというわけです。

猫のトムという役割

変化する名分論

 しかしながら、この主張はいつしか
「王朝の名分」を正当化する学問になりました。
近代西洋哲学における、「予定説」が
その後の産業革命に繋がったように、
近代的合理主義に繋がっていったわけです。

 このような理由からも、有能な官僚を発掘する手段として、
その後の元、明、清朝における朱子学が
「科挙」の主要科目となったわけです。

 こういう時代の変化の下、この朱子さんの考え方は、
後に様々な解釈を生むのですが、
日本に本格的に伝わったのは、江戸幕府が成立し、
「平和な世はどうあるべきか」という命題に「朱子学」が採用された文治政治
という流れになるのです。

 その大きなポイントは「名分論」による
身分道徳であったというところにありました。


林羅山

 それを体系化したのが、
江戸幕府の下で日本における儒学を確立した林羅山はやしらざんでした。

CONTINUE


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