仏教の基本は 「瞑想」
さて、「仏教」とは、そもそもどのような教えであったのか。
この根本から考えていきますと、
始祖である「ゴータマ・シッタールタ」が瞑想の末、
「真理に目覚めた人」となって、その悟りを伝えたことに始まりました。
そしてその真理論とは、三法印と呼ばれています。具体的には
「諸行無常(すべてのものは変化し続ける)」
「諸法無我(すべてのものは思うとおりにはならない)」
「寂静涅槃(心の迷いを抑えれば、安楽を得られる)」
という3つの真理が示され、これを体現するには、ブッダが行ったように「瞑想」に専念してこの真理に近づくことだという考えを持った修行僧の集まりが、ブッダの下に集い、ブッダに倣って、悟りの境地である涅槃をめざしたのが始まりです。
この集団の第一目的は、「瞑想によってブッダのような悟りの境地を得る」事でした。ですから、「瞑想に集中できるよう」な様々な決まりがありました。これが「戒律」です 。修行するものが「僧」というわけです。
よく言われる「仏法僧」とは、この「サンガ」をよくあらわし、後世には「三宝」という言い方で「尊重すべきもの」とされました。
「仏」とはブッダそのもの(師)であり、「法」とは真理(教え)。そして「僧」とは、それにしたがって涅槃をめざす修行者。ということになります。
ですから、「三宝」を敬うことは、こういったサンガに対する尊敬であると言うことが見て取れるわけです。
サンガの戒律としては、「一切の労働」を行わず、「布施」によって生活をすることでした。つまり、生活のすべてを「声聞(師の教えを聞く)」と「瞑想」におくというものです。仏教の修行の基本はこれであったというわけです。
「瞑想」する事で「真理(法)」に行き着く。これを目指したというのが、そもそもの「仏教」の修行のあり方でした。そして、この末に「ブッダのように安楽の心境になる」ということが最終目的。すなわち「自己鍛錬」・「自己救済」が当初の始まりであったというわけです。
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