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「専心」して、「智慧」を観察する

  智顗ちぎが中国において理論化した仏教の根本は、
法華一乗ほっけいちじょう」という概念です。

 この考え方は、「そもそも皆はブッダであり、本来救われているのだ」
という前提です。

すなわち、大いなる真理ダルマとは、
あたかも大きな船のようなものであり、
その真理の中ですべてのものは生起している。
というものです。

 「無限に広がる大宇宙・・生まれる星もあれば死にゆく星もある。そうだ、宇宙は生きているのだ。」

 という「宇宙戦艦ヤマト」の冒頭のフレーズに近い考えかも知れません。

 ですから、あたしたちは、生まれて生活する中において、
すべからく「見性成仏ブッダの要素」を
常に意識して生きる事が肝要であるというわけです。

 これは「法華一乗」の天台に限らず、
バラモンの神までも包括して成立した「真言密教」においても
即身成仏自分はそのままブッダであるという
言葉で述べています。

 ただ、それはおのれが「実感」しなくてはならないわけで、
そのためには広い意味での「瞑想」を実践することで
ブッダとなる成仏」事が可能になると言うわけです。

 それがサマタヴィバッサナ
という概念で示されているのです。
すなわち、「心を集中し」、「ありのままに観察しなさい」。
ということになります。

 そして、その方法は「実生活」をふくめ、
多岐にわたるということだというわけです。

このように、「瞑想」は無理に出家することなく、
ごく普通の人々の生活の中にあるという概念が、
その後の大乗仏教として発展していったのです。


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