4代目

ずいぶん以前に某所で記事にしていただいた文書が残っていました。私の本音トークなので記念にアップしておきます。

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「トップに必要なことは『この社長なら安心して自分たちの生活を託せる』と社員に思ってもらえる求心力ですね」。先代社長の父親の逝去から1年3カ月。4代目社長として10年以上やってきてはいたが、創業家として1人、115年の歴史を持つ老舗建設会社を率いる実感を語る。
 学生時代は家業を継ぐ気が無く、心理学研究の道に進もうと考えた。だが、父方も母方も家系はもともと材木商。「血ですかね?」と話すように建築に興味が湧き、不動産開発会社に勤務を経て、米国留学でMBAを取得。父親の求めもあって29歳で家業を継ぐべく入社した。
 入社して半年間は受注0。「平山に息子がいたのか」と地元・成田で皮肉られるほどの惑いも味わい、茨城県の不動産会社社長の協力で工事をもらい急場を凌ぐ。この経験もあり「県外、東京の近くにビジネスを求めることこそ建設会社の成長に必要」と南関東一円での受注拡大路線に進む。20億円足らずの年間売上高を常時25億円前後に押し上げた。約8割は成田以外での仕事だった。
 目を外に向けるのも、企業存続のためには必要だ。だが、門前町成田の祭り「成田祇園祭」で役目を務めるようになると「地元はやっぱりいい」と、心は徐々に故郷に回帰していく。
 2010年7月の成田祇園祭最終日の朝、お膝元の成田市幸町の山車と山車小屋が火事に遭った。建設会社として、過去の写真をもとに、消失した山車を元の姿に作り直す作業に参加。完全復元には時間がかかる作業だったが、翌年6月には祇園祭を前に納車でき「郷土愛に目覚め」る決定打に。祇園祭には平常通り十台の山車、屋台が競った。
 成田山詣での参道街づくり工事などで実績を積むと、地元から工事発注の声がかかり始めた。今や、「故郷の需要を深堀りすれば社業発展の余地は十分ある。成田(の仕事)だけで社員全員が食べていける」と明言する。年間売上高も35億円を伺う勢い(注 55期から58期連続50億円超え。グループ会社連結では60億。)。いまでは逆に売上げの8割が成田市内。「成田だけで」を実証するかのように現在、同市内に14階建て免震賃貸マンションを建設中。低層階には本社が移転する。材木商から始めた会社は、免震構造建物の建設技術を持つまでに成長した。
 「報恩」「陰徳」など父親が好んだ言葉を玩味する4代目は経営理念をこう口にする。「成田にあってよかった、望むらくは、成田に無くてはならない、と言われる会社にしたい」。外界を経巡った経営者の魂が、ふるさとに戻ってきた。


【社長略歴】
ひらやま・ひでき
大学卒業後、不動産開発会社勤務から米国留学で都市開発などを専攻しMBA(経営管理学収支)取得。1995年に入社、取締役平社員、関連会社社長や常務などを経て05年に4代目社長。東日本大震災被災者の仮設住宅への家具寄贈など、徳を積めという家訓の実践者。父親譲りの行動の速さが身上の49歳。千葉県成田市出身。


【企業プロフィル】
 千葉県成田市地盤の総合建設会社で創業は1901年。木材と薪炭販売から始め、1916年に建築請負業を進出、1962年に法人化。鉄筋コンクリート外断熱工法、床下収納付きSI構造の導入といった技術を駆使し、賃貸マンションや戸建て、商業建築、工場・倉庫建設、不動産管理、ビジネスホテルなどの事業を展開。成田(Narita)を根拠地に住空間(SPAce)を提供するという造語「ナスパ」がブランドネーム。


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