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スポーツ毒親 島沢優子を読んだ

僕がこの本を読んだのは発売直後だ。でもこの文章を書いたのは1ヶ月後。僕はこの1ヶ月すごく悩んでいた。

僕にとって島沢さんの書いていることはすごく当たり前のことなのだ。読み終わって共感しかなかった。でも同時に、現実を突きつけられた。

僕は今まで指導者の勉強不足を問題視していたが、親の勉強不足を突きつけられた。そして、僕はこの本を読んだ何日か後に、自身のtwitterでこうつぶやいている。

『旧態依然の組織、指導者、毒親。そして生存者バイアスというバリア。この構図はかなりヘビーだ』
https://bit.ly/3mYskUf

悲しいが、これが現実なのだ。もう思想の違いの世界なのだ。僕にはどうすることもできないと思った。でも僕は僕なりの想いを貫きたい。

僕はスポーツの中でもとくに野球が好きだ。
僕が野球から学んだことは、スポーツは楽しいということだ。

スポーツを楽しむ権利は誰にでもあり、スポーツは誰のものでもないと思っている。指導者のものでも親のものでもない、選手だけのものでもない。

僕はここだけは譲れない。なぜなら僕は、スポーツが大好きだからだ。

◆本文より抜粋


大人からの指示命令はサッカーやバスケットでは「サイドコーチング」と呼ばれ、本来はやってはいけないことだ。

私が問題だと感じたのは、「試合中の暴言に問題がある」と答えながら、「子どもは楽しんでいる」と感じている人が27%もいることだ。加えて、「練習中の暴言に問題がある」と答えながらも「子どもは成長している」と考えている人も23%だった。

「アメトムチ」旧態依然とした指導方法をとる人たちは、この言葉をよく使う。

罪を犯したとしても、彼らに再教育の場があれば、素直に非を認め人生をやり直すことはできるだろう。しかし、スポーツ関連のセクハラや性暴力加害者の再教育は、日本においてまだ確立されていない。

他人を蹴落とそうとするメンタルよりも、ともにいいプレーをしようと切磋琢磨する姿勢を持った選手のほうが伸びるのではないかと思う。

プロになって欲しいと考える親のほうが、そうでない親に比べ、ミスショットを叱る親が2倍近くも存在した。

保護者も指導者同様に目先の勝利よりも、伸びしろの重要性を理解すべきだろう。

戦後民主主義の影響か、文部省(現文部科学省)は「勝敗にとらわれ、身心の正常な発達を阻害すると、教育上望ましくない結果を招来するおそれがある」といった主旨で中高の運動部へ対外試合を制限していた。

勝利は理不尽を軽やかに超えてゆく。

ところがこの線条体、誰かに否定されたり、怒られると動きが鈍くなる。つまり、大人が圧迫すればするほど、子どものやる気は出ない。

逆に自己肯定感の高い親は、子どもを「あくまで自分とは違う人格」ととらえる余裕があった。負ければ「残念だったね」と慰めるが、自分まで貶められた敗北感を抱かない。つまり、共感すれど同化はしない。そのように精神的に自立した大人の実数が少ないのではないか。

被験者に集団で公共財を作るゲームをしてもらったところ、日本人はアメリカ人や中国人と比較して「他人の足を引っ張る行動が多い」という結果が得られた。ともに協働してやらなくてはいけないところを、互いに相手の行動を邪魔しているというのだ。

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