自由に生きるために
今回はジョニー・オデルさんの「何もしない」という本から、自分なりに読み解いたことを書きます。特に前半部分よかったので、そこをピックアップ。
英語名が「How to do nothing」ということで、「何もしない方法」みたいな感じですかね。センス溢れる題名だと感じております。
今回「自由」という言葉を使っているのは、僕なりの表現方法ということでご容赦ください。
自由になるために必要なものとは?
まず、「自由」に生きるとは、
社会通念や固定観念などに縛られずに、各個人の価値観に沿って生きる
みたいに僕はとらえています。
具体的には、友達がみんなフェイスブックやっているから、フェイスブックやって、友達に「いいね」つけないとな。←本当はしたくないけど
こんなことはよくあって、みんな誰の人生を生きているのだろうと問いかけたくなります。このように「本当はこっちの方が正しいのではないか?」とか「本当はこういう生き方をしたいんだ」って時に、環境に流されてしまい、生き方に悩んでいる人が大勢いるように感じます。
ここに至るためには、意志・欲求・自制が必要です。
細かい説明は、特に必要もなく何となく理解できると思います。例えば周りが何を言おうとも自分の意志・欲求・自制が機能していれば、真に自分の価値観に沿った生き方ができるはずです。
「自由に生きる」を阻んでいるもの
そんなことはわかっているけども、それがなかなかできないんだよ。
という人が多くいると思います。
僕としては、次にあげることが超大事だと思ったので、みなさんハイライトしてください。それは何かというと「余白」です。
「余白」というのは様々な意味での余裕ということになります。
例えば、
経済的に困窮していれば、職場環境がよくなくてもストライキなどできない。お金がもらえなければ生きていけない。→つまり、おかねの余白がない
SNSから抜け出したり、そんなに好きだと思っていない友人の関係を終わらせたいけど、できない。→つまり、友人に関する余白がない
つまり、問題は余白の欠如なのです。
このような状態では、自由に生きたいと望んでもその難易度がぐっと上がってしまうのです。だから、僕としてはなかなか厳しいなと思うのが、生まれた段階で精神的にも経済的にも貧しい家庭に生まれてしまった子どもです。経済的に厳しい状況におかれるのは、説明不要だと思いますが、精神的に貧しいというのもかなり問題があります。
この精神的に貧しいというのは、簡単には「毒親」的な人を想像してもらえればいいと思います。毒親は子供に対して、恥の感情などを使ってコントロールしようとします。本来、人間関係はお互いに「良い」と感じるから構築するし、続けるものです。
しかし、子どもは親からは基本的に自由になることができません。そして、ネガティブな感情を使ってコントロールされることによって、人間関係に対する認知が歪んでしまいます。
つまり、生まれた段階である程度余裕のある家庭に生まれていないと、精神的に自由になることが難しくなる。また、ある程度「余白」のある時に、将来「余白」が持てる準備をしておかないと、そのうち自転車操業になってしまうのです。
まとめ
僕からの提言としては、”将来の「余白」を設計しながら生きろ”です。
お金がないなら、最初は頑張って節約して、ある程度の余裕を作っておく。人間関係が乏しいのであれば、自分をさらけ出して、本当に理解し合える親友を作っておく。働ける場所が限られそうであれば、早いうちにスキルを身につけておく。
皆さんの人生が豊かになることを願ってます。
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