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全ての就活生へ

学生の就職活動をポジティブにしたい


シン・就活塾というイベントで、就活生にお話をする機会があった。
主催は私がやっている社団法人 百年示道塾とやまだけど、『学生の就職活動をポジティブにしたい』という想いを持った若手社員が主体的に設計したイベント。

シン・就活塾

大手リクルーティング会社や行政がやる就活イベントと違って小規模だけど、現代社会においては必要なコンテンツだと思う。

就職活動、採用活動の現実

『学生の就職活動をポジティブにしたい』という想い。新入社員の彼らが、2年前に感じたネガティブな原体験を聞いて感じたことは、私たち大人には想像出来ないくらい、学生は就職活動というシステムに心も時間も奪われているということ。

就職するため、内定もらうために、しんどい時間を我慢して過ごす…こう思っている学生は少なくないという。

これは学生の問題ではないと思う。

何人採用したい。そのためには他社よりも早く、他社よりも多く…このロジックを回すことが正義。そういうふうにしてしまっている企業側の問題が大きいと思う。

学生の未来ではなくて、企業側の都合。本当に真剣に学生と向き合うなら、内定辞退を想定して多めに内定出そうか…なんてことはあり得ない。

そんな企業や社会に翻弄される学生達。不自然なことが行われていることに誰も気が付かないのか…。気づいていてもやめられないところに来てしまっているんだろう。

新しい扉を開く就職活動あるいは採用活動というものに純粋さはなく、言葉を選ばなければ『互いの騙し合い』が繰り広げられる舞台。
お互い見つめ合う笑顔の目は笑っていないのかもしれない・・・

そんな現状を背景にしながら、『学生の就職活動をポジティブにしたい』という想いを私なりに伝える時間。

講演のタイトルは「ハタラクを考える。」
ハタラクということへの考え方がリセットされなければ前に進めないと感じている。それを講演の目当てとした。

構成は大きく分けて三つ。
一つ目は、今の就職活動というものを私なりにどうみているかということ。
二つ目は、私たちや学生の皆んなが立っている今とこれからの確認。
最後は、ハタラクということは?という私観。

’’事情’’から始まる就職活動


まず、今の就職活動(採用活動)について私の見立て。

「なぜ就職活動をしなければいけないのか?」この問いがスタート。働く動機ではなく、就職活動をする動機。ここに既に矛盾が生じていると思う。

「働きたい」という動機がない中で、就職活動を始めなければいけない。

お金を稼ぐため。
大学3年生だから。
大人になったから。
先生が言うから。
親が言うから。
こんなものだと思っている。

就職活動を始める多くの学生は上記のような「事情」からスタートさせている。

そして、学校や世間はこう言う。

「事情は隠していきなさい」

「お金を稼がなきゃいけないんです。」や「皆んながやっているからやっています。」なんて、言っちゃダメ!

事情は隠さなければいけない

その上で、

「もっと本当の自分に向き合いなさい。」
「就職活動とは、本当の自分と向き合う時間ですよ。」と言われる。

そして見つけた、自分だけの働く意味や私のやりたいことや得意なこと・・・。

「住宅メーカーに行きたいです。小さい時に家を建てて、その時に嬉しかったのが印象に残っていて・・・」ある学生が私に言った言葉。

事実だと思う。事実だと思うけど、それが本当の自分なのか?

就職活動をしなければならないから!働く理由が必要だから!
そのために絞り出したものではないか?

’’事情’’を起点として考えた「働く理由」や「仕事の喜び」は、本当の自分なのか?

なんとなく絞り出した理由が、本当の自分かよく分からないから、内定を出してもらう技術ばかりに気を向けたり、働く意味も意義もしっくりきていないから、年間休日や残業時間などの働かない時間に目が向くのではないか。

そもそも、仕事の喜びもやりがいも楽しさも、その会社で一所懸命頑張らないと分かりっこない。
どんなに説明を聞いても、インターンシップに参加しても絶対に本質は分かりっこない。これが真実だと思う。

入社することがゴールになっていて、そのために取り繕って用意した志望動機や働く意思は入社してからのモチベーションにはなりえるのか。

これが早期退社を招いたり、働くことにやりがいを感じられない大人を増やすことになっているのではないかと考える。

こんな、仮面を被った就職活動はやめるべきだと学生には言いたい。

じゃあ、どんな就職活動をすれば良いのか?

私は答えを持っていないけど、考えることは出来る。
考えるために今、私たちが立っている場所はどこなのか?を考えたい。

私たちがのみ込まれている三つの波

VUCAの波〜企業に与えてもらえる未来は無い〜

私たちが生きる現代社会はこれまでの社会と大きく変わってきている。三つの波が私たちに覆い被さってきている。

一つ目の波はVUCAの波。

VUCA(ブーカ)とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つのキーワードの頭文字を取った言葉。変化が激しく、あらやるものが複雑に絡み合い、確実なことが何もないことだけが確実だと言われている。

実際、テクノロジーカンパニーであるUberなどの登場で、リアルなタクシー会社の経営が危機に陥ったり、少子化を背景とした人口減少のスピードは増している。

国と国との争いは様々なものが複雑に絡み合い、私たちの生活も大きく変えた。大型の自然災害が起きて一瞬にして全てを無くしてしまうことも目の当たりにしている。

そして、極め付けはコロナだ。

もういつなんどき、何が起きても不思議ではない現実をいま生きている。

雇用あるいは就職活動という視点からこのVUCAの波を見てみると、「企業に与えてもらえる時代は終わった」ということが言えると思う。

どんな企業だろうと、不確実な中で生きていかなければならない。福利厚生など、自分で手に入れたものではなく、与えてもらうものに魅力を感じてもそれは’’今’’を切り取った話だということを忘れてはいけないと思う。

VUCAの波。雇用の未来に与えるインパクトは大きいと思う。


自動化の波〜職種、業種で志望することに矛盾が生じる〜

二つ目の波は、AIやロボティクスの進化。自動化の波だ。
今、話題のChat GPTをはじめAIの進化は止まることを知らない。

マイケル・A・オズボーン博士らが2014年に発表した論文『雇用の未来(The Future of Employment)』以来、A Iやロボティクスが人の仕事を奪うという議論は活発だ。

事実、私たちの生きる社会においても、これらの技術が浸透してきていることは感じる。

仕事がなくなる!職業がなくなる!という単純な論調は避けたいと思うが、人の「ハタラク」という点において与える影響は甚大だと思う。
遠くない未来に、その職種や業種が必要とされているのか、または存在しているのかということは誰にも分からない。

雇用、もっというと就職活動という視点でこの自動化の波を見てみると、「職種や業種で就職先を選ぼうとしたら矛盾が生じてしまう。」と思ってしまう。(個人的には、AIに奪われる職種や業種というものは無い。AIに仕事を奪われる’’人’’がいるだけだと思う。)

100年時代の波〜スキルや知識は長持ちしない〜

三つめの波は100年時代の波。

ベストセラーになった、リンダグラットンさんとアンドリュー・スコットさんによる共著「LIFE SHIFT」によると、2007年に日本で生まれた子どもたちの寿命中位数(出生者の生存数と死亡数が同数になる年齢)は107歳と推測しているらしい。

半分の人は107歳まで生きるということ。107歳!

約20年学んで、約40年仕事をして、約20年くらい余生を楽しむ・・・なんていう3ステージの人生設計は崩壊する。

この3ステージの人生設計は、良い高校を出て、良い大学に入って、良い就職先に入社して、真面目にコツコツ勤め上げる・・・というものが一つのロールモデルだった。

今の学校教育やこの就職活動などの仕組みも、そのロールモデルの上で作られた仕組みだ。

100年時代によって、このロールモデルは破綻する。3ステージからマルチステージへ。LIFE SHIFTの中でも言われている。

雇用や就職活動に与えるインパクトとしては、今持っているスキル、知識、興味などは永遠には続かない。常に変化、進化し続けることが求められる。ということ。

雇用の未来、お先真っ暗なのか・・・


この三つの波にのみ込まれている現代、そして未来において、働くということ、雇用の未来は暗いのか?

その問いに対して考える為に、’’VUCAの波’’、’’自動化の波’’、’’100年時代の波’’、この三つを抽象化してみる。

不確実な社会、文明の大転換機、ロールモデルの崩壊。


こう捉えると、何も今だけが特別だったわけじゃ無いと思える。こんな時代は歴史上今までもあったと考えられる。そして、先人たちはそれらを乗り越えて今があると思うと勇気をもらえる。

こんな大転換期。

直近でいうと産業革命が起きた19世紀は参考になるかもしれない。

文明の大転換が行われ、市民革命やグローバリゼーションなど社会構造も大きく変わりつつあった。当然、それまでのロールモデルは崩壊していったと思う。

世界三大幸福論



そんな産業革命直後のヨーロッパで生まれた世界三大幸福論。ヒルティの『幸福論』、アランの『幸福論』、ラッセルの『幸福論』。いずれも19世紀に産まれた人たち。

大きく変わる社会の中で、人が幸福に生きるということが根源的に大切だということだけではなく、幸福は誰かに与えてもらうものではなく、自らの努力で手に入れるんだと考えるようになったんだと思う。

この三大幸福論の中でそれぞれがそれぞれの視点で幸福について書かれているが、一つだけ共通することがある。それは

仕事を一所懸命することが幸福に繋がる。

日本の明治維新の時も大変換の時代だ。この時代に生きた福澤諭吉さんも、「一生を貫く仕事を持つこと」が幸福に繋がると言っていた。

脳科学の分野から見てみる。

私が大好きな脳科学者、澤口俊之先生は、人が幸福を感じるには、脳の一部、前頭前野を鍛える必要があると言われている。

そして、その前頭前野を鍛えるには、新しいことに挑戦すること、困難な課題を解決することが重要だという。

仕事だ。

しかも、一所懸命する仕事だ。

一所懸命にする仕事の中には挑戦も困難も失敗も喜びも、何だってある。

冒頭の就職活動の話に戻る。

ある日突然考えることを求められた働く理由に、真の内発的動機は見出されにくいと思う。

また、社会の大変換によって、働く環境、雇用の現実も大きく変わらざるを得ない。

だとしたら、何を拠り所にして就職活動をすれば良いのか?

職種や業種や得意なこと、福利厚生などの働きやすさ(もしくは働かない時間の充実)などは、時代と共に変化していく。

働く理由は幸せになるため。

だとしたら、会社を選択するポイントは、『私が幸せに生きるために、ここなら一所懸命仕事が出来そうだ!』の一点で良いのではないかと思う。

どうやったら一所懸命出来そうな会社を計ればよいのか?

働いている人が一所懸命かどうかを見れば良い。

会社に出向き、一所懸命な姿を探せば良い。社長の考え方、会社の行く先がそこに見えてくると思う。

就職活動は、学生が会社に選んでもらう活動ではない。
学生の皆んなが、会社を選ぶ活動なんだ。


一所懸命の先輩がいるはず!

偽ったり取り繕ったりする自分じゃなくて、本当の気持ちの自分でぶつかって行けば良い!

本当の自分でぶつかっていくのは怖いと思う。

けど、きっと大丈夫だと思う。

そういう本当の気持ちを持って、自分のことを考えていれば、きっと見つかると思う。きっと見つけてくれると思う。

不安だけど、心配だけど、そう信じて生きていって欲しい。

就職することがゴールじゃない。その先に幸せになる為に、就職活動を過ごして欲しい。

全ての就活生にエールを送りたい。

がんばれ!

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