「資本論」を読み続ける

私は、生来のひねくれものなので、いまや、大学の経済学部でさえ使用されない資本論を思い出しては、読み続けている。

今回で4度目である。

私は、途中だけを読むということはせず、読むと決めたら、第1巻第1部の目次、「資本論」各分冊目次、第1版序文を読み、必ず、文章の間に挟まれた注も読む。この注が重要なのだ。マルクスはこの注に、使用した資料の抜粋を抜き書きし、さらにこの箇所で分析している。

マルクスの「資本論」はすっきり、ストレートに読めない本だ。現在の多忙な時代には全くフィットしていない本である。そして、「資本論」を読んでも、経済の処方箋が書かれてあるのでもないから、実用にも実務にも役立たないではないか、と怒りだす人もいるかもしれない。

だが、そうではない。「資本論」を読めば、読むほど、実は資本主義経済に参入しようとする資本家には極めて実用的な実務的な本なのだ。人は、こうしたらいいですよ、というアドバイスを求める傾向が誰しもある。マルクスは経済へのアドバイス、処方箋などは書いていないどころか、そういう思考を批判している。マルクスからみれば、リフレだのMMTといった諸学説は資本主義経済を理論的に補強する学問としか見ないだろう。むしろ、マルクスは資本主義を根源的に洞察することで資本主義の限界を示したのだ。その限界を資本主義へ新規参入する資本家にはとても重要な認識なのだ。

資本主義の限界とは、生物である人間が労働者として資本家に従属し、労働力を提供し、維持していくそのことが資本主義の限界なのだ。なぜ、限界と言えるのか。答えは小学生でもわかる。人間は生存しなければいけないからだ。人間は機械ではないので、365日休ませず、睡眠もとらせず、食事も与えず、ということはできないのだ。逆にそんなことをすれば、人間である労働力を維持することで成立する資本主義が成立できなくなってしまうのだ。

19世紀の大英帝国はそのことに気づき、資本主義の暴走を規制し、労働者を保護する工場法が制定された。だが、それでも1日12時間なのだ。いかに現在の8時間労働が、時代の反省と進歩、労働者の不断の闘いによって勝ち取られたかがわかる。その闘いをマルクスは「労働日」、「協業」、「分業とマニュファクチュア」、「機械と大工業」という章で記述している。とはいえ、19世紀大英帝国は、資本主義を規制しなければ成立しないということに気づいただけでも現在の日本の経団連よりは何百倍もはるかにましである。ちなみにメイ前首相から首相の地位を譲り受けたボリス・ジョンソンには資本主義を規制しないと資本主義が成立しなくなる、ということに気づいているだろうか。我々が、わかっていることは、ボリス・ジョンソンは、イラク戦争のブッシュ、ブレアを受け継ぎ、トランプ、ジョンソンを作り、イランとの戦争を行うだけだろう。ブレアは労働党だが、今回は本家本元の保守党へ戻っただけである。

それはともかく、私は時間を見つけては資本論を読むようにして、資本主義という空間にいることを疑い続けるのである。


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