ひでGのこだわり映画館15

賛否両論、嵐のパート2
「ジョーカー・フォリ・ア・ドゥ」

さあ、僕にとってのこの衝撃作は吉か凶(狂)か?
観る前のワクワク感がたまらない!

冒頭からびっくり!ジョーカーなのにアニメ?あれっ、これって、ジョーカーVSアーサーってこと?とまずはぐらかされた感じ。

舞台は刑務所。すぐにアーサーが映り、まず、あっと息を呑む。ホアキンが映るだけで5年前のあの世界に引き込まれる。
骨が浮かび上がってるじゃないか!この痩せ方、ただ体重を落としたなんてもんじゃなくて、この肉体が物語っている。アーサーの苦悩、ジョーカーが起こしたことの報いを受けているアーサー。
だか、ジョーカーはまだ姿を現さない。

刑務所もそして、その後の裁判所もジョーカーの熱狂的なファンが囲む。

前作ジョーカーのあまりにもインパクトが強く、彼を取り巻く壮絶な環境が彼を悪魔に堕ちていくさまのリアルさで、フィクションと実社会の垣根がなくなってしまった人たちが出てしまった。
つまり、ジョーカーの姿を真似た犯罪者たちが世界中に現れてしまったのだ。

刑務官たちから「今日のジョークは何だ?」と揶揄われても、アーサーはジョーカーを現さない。彼は静かに沈んでいく、そんな刑務所生活を過ごしている。

売れない、笑えないコメディアンで母と暮らしていたアーサーも、刑務所でのアーサーも誰も彼を分かってくれなかった。孤独なアーサー。

そんな彼の前に現れた謎の女性リー。ジョーカーの大ファンだという彼女は、アーサーに自信と愛する気持ちをもたらす。

彼女のチカラによって、2人で外に出た時のことを夢見るようになる。

そして、リーが見守る中、いよいよ、アーサーを、ジョーカーを裁く裁判が始まるのであった。

ここからはネタバレありです。ネタバレに触れないと本作に近づくレビューにならない気がするので。(大きく改行します。)



ネタバレも含みながら、本作の評価が分かれる部分への感想を書きたいと思います。

(1)ミュージカルにした是非
前作のイメージから続編がミュージカルになるとは多くの人が予想していなかっただろう。正直、違和感は普通のミュージカルよりあった。特にアーサーが心情を吐露するところは歌に乗せることにより、前作の強烈なリアリズムを完全に失わせることになった。これが監督トッド・フィリップスの狙いなのであろうか。この物語のフィクション性を強調するための、、

ただ、ミュージカルシーンでは、本作の新たな魅力、そうもちろん、そう!レディーガガの圧倒的な表現力!
前作でこの世の者とは思えなかったホアキンさえ霞むほどのシンガーとしての魅力、そして、歌っていない時でさえ、そこにいるだけで惹きつけられる。彼女を観ているだけで鑑賞の価値があると感じた。

(2)ザッツエンタテイメント
まるで主題歌のようにかかるミュージカルの名曲。そう、殺人だってエンタテイメントとして見せるのが映画よ!この映画もそうなの!だから、ジョーカーに感化されて真似するなんてお止めなさい!ということなのか。観客への強いメッセージ性なのだろうか。

(3)終わらせることができるのは、作った人だけ
衝撃のラスト、そうその前に刑務所(裁判所)から抜け出せたアーサー。当然観客は、ジョーカーが現れることを期待しちゃう。ジョーカーがこれからさらにジョーカーになることを観たい!つまり、悪を、殺人を、エンタテイメントとして観たいのだ。(私も)
でも、イジワルだね。その前にアーサー自らにジョーカーとの決別を言わしちゃってるよ、
もう、ジョーカーは終わりだと、、
そして、本当に終わらせちゃった!監督自ら幕を下ろしちゃった。びっくりしたけど、これもジョーカーが一人歩きしてしまうことの食い止めとしてなんだろう。
ダラダラ続編を作っていくより、僕はこーゆー続編もありだと思う。本作はまさにこのゴールを目指す作品だったと思う。

(4)総評
ミュージカルシーンで緊張が切れてしまうけど、それ以外はカメラも舞台装置も、もちろん主役の二人も、完璧なエンタテイメントだったと思います。僕は結構好きな映画でした。

書き途中のレビューが先に出てしまって、ごめんなさい。

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