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SNS不敗法②

こんにちは。一部ではSNS世渡りに定評がある比嘉秀仁です。

第二弾のネタは考えていたんですが、ようやく重い腰を上げました。
SNS(というかX)は相変わらずワイワイガヤガヤギスギスしてますね。
今回は私がどういう心構えでSNSやっているのか、そして具体的にどういういうふうに行動しているのか、そういう話をしていきたいと思います。



☆大前提(SNSをやる上での私の心構え)

まず、いろいろ厳しい雰囲気のある今のこの時代のこのインターネットの海を渡るのにいつも心掛けていることがあります。

それは「多様性」と「発信」です。


何か当たり前の話から入っているようですが、結構勘違いされている方もいらっしゃるかもしれないので念押しの意味で確認しておきたいと思います。もちろん「多様性」とは「世の中にはいろいろな考えを持つ人がいる」ということです。

「みんな違ってみんないい」的なフレーズが思い浮かぶ人もいるでしょうが、実際はSNSを見ていると利害が一致しないどころの話ではなく、自分と対立(?)する考えが目の前に現れたら、それはもう全力で否定するという人がワラワラ出てくるのよくある光景ですよね。そして自分がその対象に入ってしまっていたらついムキになって反論引用リポストしたり、ブロックしたりということもあるし、まったく関係なくても脇で見ていてバトっているのを見てシンドくなってしまうこともありがちですね。よくわかります。

「なぜ自分の考えを(相手に)押し付けるのか?」「自分の考えを(相手に)押し付けるなよ」という考え、意見はもはや当たり前の話となっています。一見その通りだな、となるのですが、私はこれに関しては少し思うところがあります。それは何かと言いますと、

「SNSは『発信ツール』であり、何を言おうと見る人に程度の差はあれ影響を与える」=「SNSはその人の考えを押し付けるような形式をしている」


ということです。
「牌賊!オカルティ」という漫画に出てくる無頼堂というキャラの「麻雀に迷惑でない一打なんてない」=「どんな一打でも他プレイヤーに影響を与える可能性がある」という名言があるのですが、それと同じです。
たかが呟きで、と思うかもしれませんが、それでもその人の考えを表す一端となっているのでその人に対する印象や評価などは累積して形成されていくのではないでしょうか。、そしてそれを見る人たちからの印象や評価を気にしてしまうと見る人の数が増大していけばいくほど自分の意見など何も言えなくなってしまいます。つまり、「発信」とはそもそも一方的であり、それを見る人に無制限に配慮できるものではないのです。


以上の事実を踏まえて、他人の意見に対し

①どんな意見だろうとまずは存在を認める(まずは否定しない)
②自分の意見と対立しそうでも、否定するようなアクションはとらない(しつこいレスバ・晒上げ目的の引用リポストなど)
③どうしてもその意見について何か言いたいなら、SNSで意見内容そのものについて言及しても名前や団体名は出さない
④意見そのものの可否はあれ、自分と反する意見を持つ人に対して態度を変えず、これまでと同じように接する(思考・思想の好悪で態度を変えない)


私はこの①~④を基本にしてインターネットで「発信」と「受信(=他人の投稿/意見の閲覧)」をしています。
この①~④って結局まとめるとある種の「スルー力」なんですよね。如何に他人の発言(=意見)に引っかからないか、固執しないかという。インターネット(SNS)が自由に発言できる場であり続けるためには、それぞれが他人の意見が存在することを認めた上で、他人に「意見を言うことを禁止しない」ということが守られれば私は基本OKだと考えます。もちろんそれらが他人を傷つけるものだったり法律に触れていたりするものであればなんらかの対処をとられることを鑑みてそれなりの覚悟を持たねばならないとは思いますが。度を越えたものに関してはそれぞれで対処する以外はないでしょうね。

以上がSNSでの私の心構えです。これを前提に、実際のやり取りでアクション別に具体的な話をしていきたいと思います。


アクション別のやり取りのやり方について

どのようなやり取りであれ、コミュニケーションを取るときにはある一つのことを意識しています。それは、


「相手との温度差」です。


親密度とか言い換えてもいいですが、よく私が言っている「距離感のぶっ壊れ」が起こるのってこれを意識できていないから起こるんじゃないかと思っています。SNSは誰にでも容易にアクションできてしまうため、人によっては距離感が図りづらく、そして非公開にしていない限りはインターネット上にオープンにされるため、「個人的な」やり取りだと思っていることが人の目に留まり、あまりに「相手との温度差」を考えないアクションだと眉を(周りの目を気にする)相手やそれを見た人々に眉を顰められることになります。

それでは一つ一つ言及していきたいと思います。
とりあえずXメインでお話していきます。別SNSでも応用はできると思うので。


①リプライ


私が意識していることは「分散」です。
つまり、「いろいろな人にリプライする」ということです。「浅く広く」と言い換えてもいいかもしれませんね。

逆に言うと、「いつも同じ人にリプライする」ということはなるべくやらないようにしています。確かに気が合う人や自分が話したい人とやりとりすることは楽しいことなのですが、相手がそう思っているとは限らないし、同じ人になんでもかんでもリプライしてると「またこの人か…」と思われちゃうこともあるんですよね。

加えて、SNSってほかの人も見ているので人によっては(女流プロとか)、あまりやりとりが偏ってしまうのを好ましく思わないような立場にいるような人もいます。そこにバランスを欠いたような頻度のリプライをするのはやはりちょっと負担に感じる人もいるのではないかと考えてしまいます。

それでもSNSを楽しむために相手とやりとりしたい!という気持ちもわかります。そんな場合は「相手との温度差」を考慮してリプライします。

・自分のよくわからない話題には無理にリプライしない
・同じ話題でやりとりをつづける場合、相手と同じ時間の「間隔」でリプライする
・議論などをしていない限りは1~2往復で終わらせることを意識して、「いいね」などを使ってよいタイミングで切り上げる

こんな感じでバランスを取るようにしています。実際適切かどうかはわかりませんがこれくらいでやると相手に負担にはならないのではないか、と考えています。



②リポスト(旧リツイート)

リポストとは、要は他人の投稿(自分のもできるけど)を自分のフォロワーに見せることができるSNSの機能です。別SNSではシェア(共有)という言い方をすることもありますね。

この機能はふたつの側面があります。それは「紹介」「晒し」です。
前者はわかりやすいと思います。面白い投稿や共感する投稿を見つけたらフォロワーにも見せようと思ってこの機能を使いますよね。
後者は麻雀界隈では意地が悪い人が多いのか(人のことは言えないかもしれない)、馬鹿なことや道徳に反すること、法律に反することを投稿する人がいたら、それをフォロワーに「こんなバカなことをするやつがいるぞ」ということを文字通り「晒上げる」ためにリポストの機能を用いる、ということです。
この二つは全然異なることであるように見えますが、やっている行為としては結局同じことをやっています。なので、これを行う側の意図がフォロワーにどう伝わるか、というのが重要です。

たとえば、「紹介」であっても、自分でいいと思っていた投稿がフォロワーにとっては偏った思想であったり陰謀論めいたものに感じられるようなものであったりすることもあります。その辺の匙加減を誤るとミュートされたりリムーブされたり最悪ブロックされます。私も何度かされたことがあります。逆に「晒し」であってもそれが大勢の共感を得る事柄や出来事であったりすると大いにウケて、やってることがえげつない晒し方であっても雰囲気的には許されることもあるわけです。正義は時に残酷になり得ます。

つまり、自分がいいと思うもの、悪いと思うもの、それが他人と同じであるとは限らないんですよね。これもフォロワーとの「温度差」を考えてこれを拡散していいのかどうかを判断します。まあちょっと強気にGOすることもありますが幸いそんなに燃えてないので多少はうまくいっているのでしょう。*ミュートされてるだけ説もある

さらに「引用」リポストという投稿に直接意見につけてことができるという機能が数年前に搭載されてから、さらにX内の雰囲気が悪くなっていったような気がします。今でも引用リポストされることを蛇蝎のごとく嫌う人もたまに目にしますね。まあ形式的にも議論というか所謂レスバが発生しやすいものではあると思います。

なので、今の私は

・なるべく引用リポストはしない(何か言及するなら投稿を分ける=通常リポスト+次の投稿で意見、という形式にする)
・引用リポストするなら「紹介」を意識し、「晒し」になる話題を選ばない
・なるべく過激に発展しそうな話題はリポストしないようにする(ex.政治、宗教、差別論など)

以上を心替けています。まあ臨機応変にやっていく必要があることではあるんですが… どちらにせよリポストが多すぎるのはあまりいい顔されない気がします。これはなんとなくの感覚ですけど。自分の言葉を多めに「発信」していきましょう。

③ブロック

こちらの記事でも書いたのですが、もう共存が不可能だなとか他の人に迷惑かかるなとか思ったらブロックすることはあります。さんざんいろいろなやり取りがあった末にこれを使用するのは仕方ないとは思います。相互理解の末に相容れないことがわかることもありますので。

しかし、ブロックすることにも使い方次第でデメリットのようなものはあると思っています。機能として実装されているのだから使うのは当然の権利、と嘯く方もいますが、権利とは別にこの行為そのものが「(強い)拒否」の意思表示ですので、そこに留意することは必要ではないでしょうか。

・先制ブロックは悪手
「先制ブロック」とは自分にとってヤバいと思う人をやり取りが発生する前にブロックして関われないようにする、というものです。行った側からすれば見たくないものを見なくて済むので快適なものではあると思います。ただ、行われた側からするとやりとりする前に「拒否」から入られると人によっては大きな悪意を持つこともありそうなんですよね。逆にそれゆえに粘着されたりするケースもいくつか見たことあるので、なるべくなら先制ブロックはやめておいた方がいいと思っています。まあ個人的な感覚ですが。

・自己正当化(他への責任転嫁)はするな
ブロックすることは結果仕方ないこともあるのは既に書いた通りなんですが、これにより自分が「拒否」をする人間であるということには自覚的であった方がいいと思います。確かに相手に悪いところがあり、自分がそれを受け入れることができないほどであったかもしれません。しかし、それをボタン一つで容易にできるからといって気にせず繰り返していると自分の許容範囲がどんどん狭くなっていく気がしませんか?その辺を自覚的になって振り返ることをしなくなるとどんどん人間関係が狭くなっていき、今度は逆に自分がブロックされる側に回るかもしれません。
実際にそうなるかどうかという話ではなく、意識しておかないとネットリアル問わずそういう人付き合いの仕方に無自覚のうちになっていくのが恐ろしい、というお話ですね。安易にブロックする前にやりとりのうちに自分の悪かったところ、失敗したところ、こうすればよかったという思い返し(反省?)をする習慣をつけるといいかと思います。


④ミュート

ミュートは相手に知られることなく相手を「非表示」にできるという平和な、かつ残酷な機能です。便利なゆえに結構使っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。ブロックやリムーブは相手がわかってしまうことがあるため、いったん交流ができたその後に「やっぱこの人合わないな」となったときなどにミュートを使うことが多いと思います。ただし、リプライや引用リポストなどは通知は来るし投稿が見えるので完全に「非表示」になるというわけではありません。最近のSNS(というかX)はギスギスした話題が多くTLを見ててうんざりするのでもしかしたらミュート頻度が増えた、という方もいらっしゃるかもしれません。

ミュートで大事なことは「口外しないこと」です。せめてごく親しい身内にしか言わないようにする。ミュートは「相手にバレない」ということが最重要であって、ミュートしていることが相手に知られるのは本末転倒です。それは結局「拒否」の意思表示であるので。こないだ、目の前で「比嘉さんミュートしてます」って言う人がいましたが、これはブロックする以上の悪手だと個人的には思っています。悪意の発露以外の何物でもないですからね。じゃあこっちはブロックするわって思いました

もちろん、フォロワーがたくさんいればいるほど、フォロワーにはいろいろなSNSの使い方をする人がいるので「相手の温度差」によってTLの見方は変わってきます。投稿頻度が多すぎる、とか強い言葉ばかり使って苦手、とかいろいろな理由でミュート対象にはなり得ます。私も一万強フォロワーがいてどれだけにミュートされているかはよくわかりませんが、きっと私をミュートしてる方はいらっしゃるでしょう。そんなもんです。
でも、SNSではミュートまで気にして投稿していたら何もできない気はします。合う人もいれば合わない人もいる、つまり「多様性」を念頭に置いて、誰かが自分をミュートしてる可能性があってもそれは追及せず、自分は誰かをミュートしてることを「知られないように気を付ける」ことを徹底すればそれでいいのではないでしょうか。


他にもアクションはありますが、この4つが主なものなので以上になります。



・それでも疲れてしまう人のために


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