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生ビールズの話

第1章 生ビールズ結成!!

僕は矢島くんと2人でベースandバンジョーのバンドを組んだ。その名も生ビールズ。ブルーグラスを演奏する。バンド名とコンセプトは2021年のArtStudio Chipperの個展 Art Show!『会話』の時に冗談のような話からスタートした。コンセプトは明快だ。
①大通公園で路上ライブをする。
②投げ銭をもらう
③速やかにビールに変える
④乾杯!!
※①に戻る

第2章 僕とブルーグラス

生ビールズや矢島くんについて語るまえに、僕とブルーグラスについて少し話をさせておくれ。
18歳の時だ。酪農学園大学に入学してブルーグラス研究所の見学に行ったものの、モチャモチャしているうちに入りそびれてしまった。
その後の音楽人生はブルーグラスにコンプレックスを感じながら指をくわえて眺めるほかなかった。僕は友人とバンドを組んでいる時にいつも横目にはブルーグラスがあった。しかしブルーグラスと言うジャンルに挑戦する機会はなかった。僕は今年で37歳だ。

第3章 僕と矢島くん

出会いは忘れたぜ。10年前。札幌行きのJR。大麻から乗ってきた矢島。たまたま居合わせて二人で話をしたのが一番古い記憶だ。矢島くんは僕の大学の後輩ではあるが、年が8つ離れている。直接的な関わりはない。
僕は矢島くんが当時所属していた酪農学園ブルーグラス研究所のコンサートをよく観に行ってた。我が家からコンサート会場の「ドラマシアターども」までは歩いて10分かからないのも理由の一つだ。
コンサートでの矢島くんのプレイはいつもキレキレだった。アゴがしゃくれて鬼のような形相でバンジョーに向き合う男。鬼しゃくれ。それが矢島佑紀という男だ。大学生は大体4年で卒業するが、彼は6年間大学生をしていた。そのおかげで?それだけたくさん僕は彼と時間を共にできた。

第4章 鬼しゃくれよ再び

矢島くんも卒業して社会人になった。久々に会うと、彼は何か悩み苦しんでいるように見えた。ヤジマは何やら苦しそうに生唾飲み込む。
声も掠れ掠れ何か言おうとしては生唾飲み込む音だけが聞こえる。
僕は何もできない。話を聞くだけだ。話を聞くことしかできない。
僕は自らの20代のつらかった記憶が蘇る。仕事も私生活もだらしがなく失敗ばっかり繰り返してた。漠然な不安を打ち消すために夜通し遊んだり朝まで話をしたり。次の日は寝不足でまた仕事で失敗をする。寝坊もした。
はぁ。自ら振り返って我ながらナサケナイ。。

僕は「わかるよ。」なんて簡単には言えない。
『君の抱える苦悩の全ては知らん。
肩代わりできるとも思ってはいなく。』
bossの言葉を引用させていただきます。
ただそれを乗り越えなきゃいけないって事だけは確かなんだ。
だからこそ僕は何もできないのだ。じつと矢島を見守り続けていた。

そして今年の春。久しぶりに矢島と再会。
今だな。そう。今だ。と思ったのだ。
生ビールズをやるなら今しかない。
僕は今、人生史上一番ノリノリで多忙で多感なお年頃を迎えている。
この詰め込みすぎな日常に新たなバンド活動を加えるリスクは大いにある。
しかし、矢島くんに必要なのは生ビールズだな。いや矢島くんに必要なのは俺だな!と思った。そして当然僕も同じく彼を必要としているのである。
矢島佑紀を再びバンジョー狂いの鬼しゃくれにできるのは俺しかいない。

第5章 ども盆興行に出演しよう

8月3日4日の「ども盆興行」に出演しよう!
コロナで5年ぶり!なんでもあり!ども興行に!
なぁ矢島!我々「藤原英大と矢島佑紀の生ビールズ」興行に出ようぜ!
矢島くんは笑いながら3回うなずいた。
そうと決まれば練習だ!!エントリーだ!!
生ビールズの出番は4日日曜日の14時10分からだ!!
暑くて熱い15分を生ビールズが用意します。
冷たいビールをあなたが用意してくれたら嬉しいに決まってるぜ!
練習もしっかりした。ステッカーもできた。
『さあ神よ、雨を降らそうと望むなら、降らせよ。』
牛飼いダニヤ(スッタニパータ)より


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