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得体の知れない怒りがある

小学校の授業を見ていてギョッとした。

「”どうせ”君達は前回の授業のことなんか覚えてないよねぇ」
「”どうせ”出来ないんだから余計な事はしないで言う事を聞きなさい」
「君達は幼稚園児だから外行って遊ばないんだよね~」

常にどうせ、どうせ、ダメ、ダメ。そして指示に従わないと怒鳴りつける。どう見てもこの先生は自分の普段の不満を生徒たちにぶつけているようにしか見えない。
でも、恐怖政治というか下手につっつくと厄介なので、その先生のクラスの生徒達はひと際ちゃんとしていて(?)統制が取れている。
下手すると、蚊帳の外から採点する人達からしたら評価高いのかも、と思っていたら、案の定立場的にそこそこ上に位置する人だった。

一方で、常にとても柔らかな物腰で、生徒達を楽しませつつ、見ているこちらもニコニコしてしまう、絵にかいたような”良い”先生も見た。
後者の先生の方が見ていて圧倒的に心穏やかでいられるのだけれど、ただ、逆に言うと100%演技だからこそ”良い”先生をやってられるのだなぁ、と感じた。

大人同士で話をした時、前者の先生は若干授業の時と同じ勢いがあってやっぱり怖いのだけれど、後者の先生は子供達と接する時とは声のトーンからなにから全く異なり、そもそもモードが違う。
もちろん好き嫌いで言ったら後者の先生なんだけれども・・・

また別の先生。
PCを使う授業をやらされて、もともとPCがニガテで嫌いなところに、たまたま停電が起きてネットワークが落ちてしまい、目的の作業を生徒達にやらせることが出来なかった時に、露骨に生徒達に対してもイライラするし、授業の最後に
「ああっもう!結局やりたかったところが出来なかったじゃない!」
と吐き捨てていたところに
「でも、授業楽しかったよー!」
と、6~7歳の生徒が先生に声をかける。そしたら先生も急に丸いエネルギーになって
「あ、、、ありがとう。」
って。

どっちが先生なんだろw
って思ったけど、多分子供には先生がニガテ意識のあるPCを嫌だけど頑張ってやろうとしてうまくいかなくてイライラしていっぱいいっぱいなのが全部伝わっていたんだろうな。それを悪いこととも良いこととも思わず自然に反応してる、って感じて、そういうシチュエーションを子供たちにリアル体験させているのも、それはそれでやっぱり先生としてアリな一面なのかなーって思った。演技100%では起こりえないシチュエーション。
演技100%の”良い”先生だけに囲まれて育ったら、何か欠けてしまうような気もする。


って、学校の様子を見ていると色んな事に心が反応させられて、何が正解がわからんなーって常々思うのですけれど、わたし自身が自分の怒りを子供にもぶつけちゃうタイプなんですよね。
というか、得体の知れない怒りがある。

得体の知れない怒り、って日常で結構目にしませんか。って現実は自分自身を投影しているようなものなので、わたし自身を見ているだけなのかも知れませんがw、続けます。

一番わかりやすいのが、車。
今は何ともなく普通に運転出来るようになりましたが、運転が恐怖で運転する度に頻尿になったり下痢をしていた頃、何が一番嫌って、車に乗っていなかったら絶対にやらないような攻撃的な行動をする人が凄く多いこと。

例えば、車でモタモタしていると結構容易に後ろから煽られたり、クラクションを鳴らされたりします。これって、生身で何かに並んでいる時に、前の人がモタモタしていたら、相手がどんな人だろうがすかさず
「早くしろよ!」
って声に出して言っているようなものですよね。
でも、クラクションを鳴らす人の方が直接声に出して怒る人より圧倒的に多い。何だか車の装甲に守られているから気が大きくなって、普段怖くて出来ない行動をここぞとばかりにやっているようで、それが凄く嫌いでした。

でもですね、嫌いだからやらないようにしているだけで、その気持ち、
わかっちゃうんだなぁ、これが。

大してスピードを出していない時に、
充分距離のある次の信号の横断歩道が赤なのに、老夫婦がゆっくりと渡っている。見通しも良いところなので、ちょっとスピードを落とせば特に問題ないのですが・・・
「ぅおぃ!(何やってんだyo!)」
という反応的な心の声がします。

で・・・、通り過ぎてから良く考えると、別に凄く急いでいるワケでもないし危なくてヒヤっとしたワケでもないし・・・。何でこんなことにイラっとしたんだろ・・・ってなります。
似たような状況で、ピーッ!ってクラクション鳴らしながら走ってくる車や、下手するとわざとスピード上げてから近くで急ブレーキ踏んでくる車を見たことがあります。完全に外に表現しちゃってますね。(これもわたしかも知れないけどww)

みんなわかりやすく外に出すから車を例に挙げましたが、、、ってことは車の装甲がないから普段あんまり外に出さないだけで、本来はそんくらい得体の知れない怒りが常にあるんですよね。

そんで、得体の知れない怒り、って言うけれども、

多分、なんとなーくそれって、自分がしょうがないと思い込んで我慢してる時に平然と我慢してないモノ(人、行為?)が目に入ると湧いてくる怒りなのかなーって思います。
ホントは日々仕事に追われて忙しくなんてしたくないのに、それに気付かず忙しくして、急いでいる時にモタモタしている人がいたらイライラする、とか。
自分はダメだ、どうせ〇〇だ、がデフォルトになってしまって、自分に刷り込んでしまったルールを守らないで自由に行動する希望に溢れた子供に怒りをぶつける、とか。
あるいは溜め込んでいる不満があると、関係ない些細な事に反応してしまったりするのかな。
みんな得体の知れない怒り多い。(それも自分の事なんだけどw)

以前に比べれば、我慢が減って、それに比例して怒りも減った実感はあるのだけれど、まだまだ怒りはあります。でも全く怒りがなかったらつまらないって思っちゃってるのが、今の自分なんだろな。


先々月あたりに、妻がしばらく家にいなくて、5歳の息子と二人っきりで生活していたのですが、夜なかなか寝ない息子を寝室に連れていき、本でも読んでやろうとしたら、どうも鼻がぐしゅぐしゅし始めたようでそれどころではない。ひたすら袖で鼻をゴシゴシ・・・
「ゴシゴシしたら汚れるし、ティッシュ使え、って言っているだろ」
息「パパー掃除した方がいいんじゃないー?」
「今日昼間に布団干して、掃除機もかけたばっかりだよ」
(どうも布団を干した直後はほこりがたっちゃうのかわたしもアレルギーっぽい反応が出ること多い)
またゴシゴシ・・・
「だから、それやめろって言ってるだろ!余計酷くなるって。じゃああっちの布団で寝ろよ」
あっちの布団に行ったあと・・・
息子「パパー変わらないよー」
そんなこんなでなかなか寝ず、早く一人の時間が欲しいわたしはだんだん語気も荒くなってきて、息子は最終的に別のベッドでようやく寝たのでした。

わたし自身鼻炎的なやつは幼少の頃からの長い付き合いなので、原因のなさそうなところへ行ってとにかく症状をやり過ごす、ムズムズに反応しては悪化するだけ、というのがあってひたすらそれを押し付けて「早く寝ろ!」と得体の知れない怒りをぶつけまくったのでした。

で、自分が寝ようという時に、息子の寝顔を見て思い返し・・・
息子からしたら、鼻がぐしゅぐしゅして辛い時に、まだ自分なりの対処とかも確立していないのに、やたらとまくしたてられて、とにかく寝ろ寝ろ、ってパパの都合で怒られて・・・酷い事をしたな、と何だか凄く悲しくなり。

次の日の朝、朝食を食べている息子に
「昨日の夜な、あれな、おれ早くPCいじりたくてイライラしてたんよ。そんでな、〇〇(息子の名)からしたら鼻かゆくて辛いだけなのに、怒られて早く寝ろ、って酷いよな。悪かったなぁ、ごめんなぁ。」
すると、話の途中からニコニコしながら聞いていた息子に無言で頭をナデナデされました。

なんか上から目線だな!
でも大好き。
でも多分また得体の知れない怒りをぶつけるんだろな。

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