転職を「機会損失」の観点で考える
はじめに
昔から「○○は損なの?得なの?」という記事は人目を惹くようです。
ちなみに私の周りで話題になることが多いのは「転職」と「持ち家」をテーマにしたものです。
私は転職も持ち家購入もしたことがありますが、今回は前者の件について書いてみようと思います。
転職は結局損なの?得なの?
この話題において、よく見るのは「収入的に損か得か」という内容ですが、最近ではそれ以外の文脈で語られることも増えてきたようです。今回は、機会損失という観点で、転職経験者が考える「転職は結局、損なの?得なの?」について書いてみます。
機会損失という観点
以下の記事は、「自分のキャリアを塩漬けする」ということをどう考えるか?がテーマのようです。
これを読み、そのあとで「すし職人が3ヶ月で生まれるこのご時世」ということに思いを馳せると、確かに期間を重ねること「だけ」に価値があるとはどうしても思えないです。
明らかに価値がないと思っていても、会社(社会の、ではない)の様々なしがらみの中でそれをこなす
そんな時にかけられる「今この苦しい時を乗り越えれば『力がつく』」といった類の言葉
この辺はまさしく精神論だと思っていて、そういうことを言う人とは意識的に距離を置くようにしてきました(「力って何を指して言ってるんでしょうかね?)
「期間」と「機会」の違い
成長に大切な要素なのは、期間ではなく、「機会」だと考えます。でもまだまだ世間では、企業の中である程度の期間を過ごすことを「成長までに必要な、石の上にも」的文脈で語られます。これは何故なのでしょうか?
私が思うに、その理由としては
期間が長くなると、確率的に「機会」が増えるので、経験値が上がる可能性が高くなる
ただ、機会を与えるためには必然的に期間が必要なので、これまでは一緒くたに扱われてきた
などが考えられます。
企業の中で成功(出世)されている方は、「機会」=「期間」として過ごされ、その機会の中で成功されたために、この違いについてあまり認識する必要がないのではないでしょうか。そのため、そういう方に転職を相談しても「もうちょっと耐えてみよう」などという筋違いなアドバイスをもらってしまうという恐れがあります。
だから「転職は結局、損なの?得なの?」
上記のように考えると、「転職という行為が損か得かで考えること」自体に無理があるのではないでしょうか?
今やりたいことに対しての「機会」が得られるなら、その転職は得(成功)
やりたいことの「機会」が与えられないなら、その転職は損(失敗)になる可能性が高い
ということなど考えます。
ただし、ここで難しいのは、転職の成否を評価する観点としては、今まで書いてきた「機会」の他に、「収入」「労働環境」などもあるということです。したがって、機会が十分に得られなくても、収入やその他条件において「まぁいいか」と判断できる可能性はないわけではない、と思うのです。
いずれにしても、転職に際しては、金銭面やその他の条件だけでなく、良い「機会」を提供してくれるところかどうかを十分に見定めるべきだと考えます。
(おわり)
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