「涙活」のすすめ
アランは、『幸福論』の中で、こう述べています。「悲しみは心の問題ではなく、身体の問題である。ある精神分析医が、人の気分の移り変わりをいろいろと観察し分析するうちに、ひとつの法則に気づいた。 楽しい時期が終わりに近づくと赤血球の数が減り、悲しい時期が終わる頃には増えはじめるのである。悲しみは、実は赤血球の数の問題なのだとわかれば、話は早い。いらぬことに思いをめぐらすことをさっさとやめよう。悲しみは心の問題ではなく、身体の問題と考えるのだ。そうすればもう疲れや病気と同じことで、ちっとも複雑なことではなくなる。裏切られた痛みにくらべれば、胃の痛みをがまんするほうがまだましである。同じように、『本当の友だちが少ない』というより、『赤血球の数が少ない』というほうがよくないだろうか?感情にとらわれやすい人は、気を楽にすることも、真相を理解することもはねつける。でもわたしがいま言ったように考えれば、同時にこの両方の解決策につながるはずである。」
確かにさまざまなつらい体験や、いまわしい過去の出来事をくよくよと考えれば考えるほど、悲しみは鮮やかに蘇ってきて、人は悲しみをなかなか拭えないものです。だから、アランの言うように、情念に駆られ、煩悶するよりも、悲しみは赤血球の数の問題であると考える方が楽なのかもしれません。
涙は、上まぶたの外側にある「涙腺」で作られますが、確かに、まぶたの周りの毛細血管から溢れ出た「血液」の赤血球や白血球・血小板などは涙腺を通れず、水のような液体成分である血しょうだけが涙としてにじみ出たものなのです。
涙には、3種類があって、目を乾燥から守ったり、目に酸素や栄養を届けたりする働きをする「基礎分泌の涙」、玉ねぎを切ったり、ゴミや煙が目に入ったりしたときに出る「反射性の涙」、そして3つ目は、悲しいときや感動したときなど、感情によってあふれ出る「情動性の涙」です。ここでおすすめしているのは、「情動性の涙」です。
「男のくせに泣くんじゃない」というのは、最近では不適切な表現ですが、泣くことに、ストレスに弱いといったネガティブなイメージがあるのかもしれません。アランの言うように、悲しみを赤血球の数の問題に限定できないにしても、泣くことは必ずしもネガティブなものとはいえないのです。
涙には、別名ストレスホルモンとも呼ばれるコルチゾールが含まれており、涙を流すことで、このストレスホルモンを体外に排出するデトックス効果が起きます。泣いたあとになぜか気持ちがスッキリしたと感じるのはこのためです。
リラックスした状態とは、副交感神経が優位な状態にあることを指し、副交感神経は「休息の神経」とも呼ばれるように、これが活性化すると血管を広げ脳の血流をよくするため、身体がリラックスした状態になるのです。眠ること以外で副交感神経へと切り替える唯一の方法は、泣くことだともいわているため、睡眠と同等のリラックス効果があるといえます。
攻撃性や怒り、不安が増大すると、人間は、体内のマンガンのレベルが上昇するといわれ、一定量を超えて蓄積するとうつ病になるリスクが増える、ともいわれています。泣くとストレスホルモンだけでなく、体内のマンガンも排出されます。思いっきり泣いた後は、いつもより寝つきが良いと感じられたり、 精神の安定や安心感や平常心、頭の回転をよくして直観力を上げるなど、脳を活発に働かせる鍵となる脳内物質であるセロトニンも増えるということが分かっています。
痛いと泣くのは、涙のなかにあるエンドルフィンという苦痛を和らげるホルモンが含まれているからで、エンドルフィンの鎮静作用は、モルヒネより大きいともわれており、痛いときに涙を流すということは、人体の仕組みとしても理にかなっているのです。
自分の気持ちを抑え込みがちな人は、感情を表に出してみたり、我慢ができない時には、泣いて自分を解放してあげることも必要なのです。
人間が泣く時、脳にどんな変化があるかを調べると、前頭前野の血流が増えるそうです。前頭前野は、動物の中でも、人間が最も発達しており、人間には、「ほかの人に共感し前頭前野が興奮するとそれが引き金になって泣く」という脳のシステムがあると考えられています。そして、この前頭前野の中心にあるのが、「共感脳」と呼ばれる部分ですが、「共感脳」は、愛する人との別れなどの経験を重ねる程、発達すると考えられるため、年をとると涙もろくなるのは、ある意味当然なのです。
歌や読書、映画などで感動し、涙を流すこと、すなわち「涙活」を大いにおすすめします。
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