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美の概念を変えた女優①

~オードリー・ヘプバーンの生涯~ シリーズ➊~➌


➊レジスタンスの精神

▲オードリー・ヘプバーン


 冬のある寒い日の事でした。見知らぬ一人の男が、地下室の扉を叩きました。「お願いがあるのですが、これを大至急川向こうのヘルストの所へ届けてほしい。あなたは子どもだから、きっとナチスは気づかないでしょう。オランダにとって、連合軍にとってとても大切な手紙なんです。」
 亡くなった伯父さんの部下だというだけで、その人がレジスタンスというナチス・ドイツに対する抵抗運動をしている人であることは即座にわかりました。少女は黙ってうなずくと母のアドバイスで、その手紙を履いていた靴の底に隠しました。母は言いました。「決してそわそわしないで、自然にね。ドイツ兵と目が合っても走っちゃだめよ。」
 街には大勢のナチスの兵士がいました。ナチスに見つかれば、子どもでもその場で容赦なく撃ち殺されます。彼女は胸をドキドキさせながら歩きました。すると、「止まれ。どこへ行く。」巡視中の二人のナチス兵が、彼女に近づいてきます。「ああ、この心臓の音が聞こえたらどうしよう。」心臓はいまにも止まりそうでした。
 結局彼女は、自分の知恵と勇気をふりしぼって、その手紙を無事に川向こうの相手に渡すことができたのです。
 
 小学校卒業後、ウィニア・マロ―ヴァという有名なバレリーナが教えるアルンヘム音楽学校でバレエのレッスンを始めた彼女は、バレエの虜になり、世界一のバレリーナになるという夢をもつようになりました。
 その後彼女は、カーテンで作ったドレスを着て、得意のバレエを各地で一生懸命に踊って回りました。もちろんバレエは、街の大きな屋敷の地下室などで秘密に行われました。発見されるとただちに連行される危険な活動でしたから、用心のため拍手などありませんでしたが、自分のバレエがオランダの役に立つことを誇りに思い、満足でした。観客はレジスタンス運動の支持者たちで、集められたお金は「自由オランダ」という地下組織の活動資金になりました。
 第二次世界大戦が終わると、オランダは解放され、母と娘はロンドンに移住しました。16歳になった彼女は、生活を支えるために映画やテレビ、舞台の端役の仕事を始めました。その後彼女はモナコのホテルの撮影現場で女流作家のシドニー・コレットに見出され、ブロードウェイ上演作品の『ジジ』の主役に抜擢され、映画『ローマの休日』ではアカデミー賞主演女優賞を獲得し、世界のトップスターとなりました。
 この少女こそは、『ティファニーで朝食を』『おしゃれ泥棒』『シャレード』『マイ・フェア・レディ』などの数々の名作映画に主演した、有名なオードリー・ヘプバーンという女優です。

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